「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


SF(サムライフィクション)


■公開:1998年
■制作:フューチャーパイレーツ(高城剛)
■監督:中野裕之
■助監:
■脚本:斉藤ひろし
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:吹越満
■寸評:21世紀の時代劇へ。


 地方の小藩が将軍家から排領した宝刀を紛失する。浪人・布袋寅泰は武術試合で圧倒的な強さを見せ、殿様に召し抱えられたのだが、所詮、家柄というバックボーンを持たない彼は、名誉だけは立派だが実際のところただの刀のお守役という処遇に絶望し、宝刀をかっぱらってトンズラしたのである。

 その時、止めに入った近習の刀を避けた拍子にソイツが池にはまって溺死したため布袋は刺客まで差し向けられるハメに。追っ手に任命されたのは家老・内藤武敏の息子、平四郎・吹越満と親友二人をあわせた通称・三バカトリオ。布袋の実力を知らない三人は鬼退治にでも出発する桃太郎状態でウキウキしていたが、どっこい現実は甘くなかった。

 布袋に襲いかかった三人のうち、結婚間近の信太郎・大沢健が返り討ちにあう。負傷した平四郎は浪人・風間杜夫とその義理の娘・緒川たまきに助けられた。仇討ちに燃える平四郎をなんとかなだめようと考えた風間は、家老が養っている忍者・谷啓の部下、隼に頼んで、内藤が重病だとウソを教えて平四郎を藩に帰し、その間に布袋に刀を返却するよう説得を試みる。

 その頃、布袋は女侠客・夏木マリの用心棒となっていた。風間の腕前を認めている布袋は宝刀と引き替えに勝負を挑むが、風間は応じない。そこへ父親がピンピンしている事を知って憤慨した平四郎が戻って来た。隼に買収され布袋に毒を盛ろうとした夏木は布袋に殺された。布袋は緒川を誘拐し風間に立会を強制する。

 風間が布袋の刀を払い落とし、勝負は決着する。不敵に笑って断崖から身を踊らせた布袋。その後、谷川の底に沈んだ宝刀が発見され、平四郎は無事に役目を果たし父のところへ帰った。緒川は平四郎と結婚し、風間も藩の事務方として士官に成功、万事、メデタシ、メデタシ。

 よくもまあ時代劇のパロディをこんだけ詰め込んだねえ。宝刀探しは「レッド・サン」、忍者は「忍びの者」、布袋は「用心棒」。とにかく時代劇の面白い材料をコテコテに盛り込んでいるという感じ。本作品の仕掛け人である高城剛@フューチャーパイレーツによれば「自分ちのバーちゃんにも理解して貰える仕事がしたかった」との由である、非常に納得できる話だ。彼の祖母さんは「剛、公務員になれ」が口癖、らしい。

 時代劇はロケが大変、の常識をCGが覆えす。遥か遠くに見える勝浦(千葉県)のネオンを砂漠に変え、羽二重の継ぎ目を隠し、タイヤの轍を消し、宝刀は美しい渓谷を蝶のように舞い、川底へ蜂のように刺さる、のである。

 モノクロだから衣装のショボさも味となる。なんといっても私が気に入ったのはむやみに「血」が出ない、というところだ。唯一印象に残る「出血」シーンは緒川たまきの胸の谷間と太腿を見た平四郎の「鼻血」くらいなモン、というのもオシャレだ。 フレッドブラッシーによる出血シーンで心臓マヒを起こした世代の「おばあちゃん」たちに大流血は凶器だ。第一、子供に見せたくないもんね。

 時代劇の面白さのエッセンスをゴチャコチャ盛り込んであるのに、破綻が無い。「稲中卓球部」のようなテンポのあるお馬鹿な台詞まわしでありながら、時代劇に不可欠な人間の普遍的な感動、愛と友情と勇気がちゃんと描かれている。それでいて「見せる」ところには労(CG)を惜しんでいない。シンプルだが雑ではない、上手くはないが面白い、作法はないがファッションはある。

 21世紀に残る時代劇・チャンバラ映画の可能性を示唆しているという点において、かなり価値ある作品といえるのではないか。

1999年06月25日

【追記】

02/12/23
「RED SHADOW」を見る限りにおいて中野裕之に日本の時代劇を託すのは間違っていると深く反省しました(筆者)。

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16