「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


森と湖のまつり


■公開:1958年
■制作:東映
■監督:内田吐夢
■特撮監督:
■助監:
■脚本:植草圭之介
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:高倉健
■備考:シャモ:アイヌ人が日本人を指して言う称。


 アイヌ文化振興のために基金を設立した大学教授・北沢彪が画家・香川京子をともなって北海道へやって来る。教授の目的はかつてが面倒をみていたアイヌ人の青年・高倉健に会うこと。

 高倉は自分が純血のアイヌ人であることに誇りを持っているので、シャモとの混血やアイヌ人である事を隠しシャモとして生きている人間たちを軽蔑していた。アイヌ系の酪農農家や漁師たちから金を脅し取り、その金で貧しいアイヌの子供たちに絵本や米を分け与えていた彼は子供たちの憧れの的。

 北沢の協力者でアイヌ系の農場主・佐々木孝丸が自分の娘・中原ひとみの肖像画を描いてくれと香川に依頼する。彼の目的は香川を抱き込み北沢の信用を得て高倉がためこんだ基金を横領すること。香川は中原から日本人によるアイヌ人に対する差別が根強く、アイヌ人の間にも差別がある事を聞かされる。

 高倉を慕っている酒場のマダム・有馬稲子のところへかつて高倉姉弟をいじめていた元駐在・花沢徳衛が訪れる。彼は網元・薄田研二の息子・三国連太郎を連れて来ており、猟銃の名手である三国がいれば高倉も自分たちをむやみに襲わないだろうと言う。居合わせた香川は酒場の奥に隠れていた高倉から薄田への手紙を託された。

 その手紙には、薄田が実はアイヌ人であること、それを息子にも打ち明けず、シャモとして差別を逃れ富を得ているころが書かれていた。さらに、手紙には彼の漁場にアイヌ人を雇わなければ事実を公表すると書かれてあった。しかし薄田はこの手紙を無視。怒った高倉が定置網を爆破したので大騒ぎになる。薄田に怪我をさせた高倉を三国が撃とうとする。止めに入った香川を高倉が馬で連れ去った。

 高倉の姉は昔、許婚・加藤嘉からアイヌ人であることを理由に婚約を破棄されていた。しかし加藤はこの事を心底後悔しており、入院中の姉を訪ね深く詫びを言う。そこへかけつけた高倉は加藤から自分がアイヌ人とシャモの混血だと聞かされて愕然とする。

 三国と決闘することになった高倉は片目を失いながらも、漁場にアイヌ人を雇うことを確約させた。自分が集めた基金の隠し場所を少年に託した高倉は、香川の前から黙って姿を消しその消息は二度と聞かれなかった。基金は教授の手で正しく運用され、多くのアイヌ人の子供が教育を受ける機会を得たという。

 タイトルだけ見て、アイヌ人の娘と健さんのメロドラマかなんかかと思っていたので、中観てびっくり!少数民族に対する差別問題にま正面から取り組んだガチガチのセメント映画だった。

 森と湖のまつりとは狩猟民族であるアイヌが、近代化の波に押されながらも大地の恵みに感謝し、自然に対して畏敬の念を表するための神事であり、言い替えればアイヌ民族そのものを指す。

 アイヌ人が差別されているという事実は東京生まれの東京育ちにはとんと知らされない現実であるだけに、映画的な面白さよりもなによりも、その社会性に興味津々となってしまった。

 この映画のキモは加藤嘉である。浮浪の末、かつての恋人の弟に「アイヌとして生きる事よりも北海道人として生きることを考えろ」と諭す。そして湖に身を投げた加藤の死体が高倉健によって拾われるラストシーンに、現実を受け入れざるを得ないアイヌ人の姿を象徴させた。

 今じゃあ寡黙な仁侠スタアと「だけ」呼ばれる健さんだけど、東映の看板を背負う前は本作品のようなセンシティヴかつパッショネイトな役どころでとても魅力的であったことを発見できた。スタアになる人ってのは、若い頃から色んな可能性をまるでオーラの様に放射しているものなのだ。

 アイヌ文化の記録映画としてもオススメの一品。

1999年02月23日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16