月山 |
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■公開:1979年 |
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学生運動をスピンアウトしてダムの工事現場を転々としていた学生・河原崎次郎は、友人・望月太郎にも行き先を告げず、山形県の霊場、月山を目指す。麓の寺の住職・鈴木瑞穂の話しによると、河原崎が行こうとしている寺は、冬場は外界と完全に孤立してしまうような山奥で、すっかりさびれた今では住職がいない状態が続いているらしい。 バスを降りた河原崎は地元の男・井川比左志の案内で、元大工・滝田裕介が管理をしている寺にたどり着き、そこにしばらくの間逗留することにした。穏やかな秋が過ぎ、本格的な冬が来る。他に娯楽の無い村の面々の集会場でもあるその寺で、河原崎は美人の後家さん・片桐夕子(ハマリ役)に誘惑されたり、下賎なおかみさん連中・菅井きんらにからかわれたりしながら楽しい時間を過ごす。 かつて寺にあった即身仏は、行き倒れの死体を薫製にしたのではないかという噂があって、それが火事で焼けてしまってから寺がさびれていったのだと菅井たちから聞かされた河原崎は、ひょっとしたら滝田が自分を殺して即身仏にすることで、寺を有名にしようと目論んでいるのではないかと疑い始める。 父母を失い祖母に育てられた少女・有里千賀子と知り合った河原崎は、彼女から「よそものと一緒になるとこの村の女は不幸になる」という言い伝えを聞く。その頃、行商の男とかけおちした片桐の凍死体が発見される。 河原崎は和紙で蚊帳を作りその中に閉じ篭る。仏とは、成仏とは、宗教とは、色々な思いを巡らす河原崎。友里へのほのかな慕情を感じつつ河原崎は寺を去る決心をする。峠にさしかかったとき、珍しく晴れた月山を拝んだ地元の猟師・稲葉義男は「これこそ果報だ」と言う。自分が知らない人々の営みを体験した河原崎は清々しい思いで月山を見つめるのであった。 最初はのほほんとしていた河原崎次郎の顔が次第に鋭さを帯びて、ついには即身成仏になった自分を夢想するのですが、その表情が鬼気迫るところまで徐々に変化して本当にミイラのようになりきります。滝田裕介がひたすら箸を削って(雪が凄くて身動きとれないから)、河原崎がかい巻きにくるまって(凄く寒いから)、とにかくほとんど物も人も動かない映画。 唯一発散されるのは、寺に寄進する野菜や焚き木や酒をもってきた村人がベロンベロンになって騒ぐシーンだけで、あとは津々とした雪また雪。他にやることないから主人公の興味がまるで幼児のようにどんどん内へ内へと向かっていきます。 テレビもラジオもカラオケも、世間の喧騒から引き離された月山の霊的な刺激こそが作り手の言わんとするところですから、画面が延々と写す雪また雪の風景が本作品の本当の主役なんでしょうね。河原崎次郎が出てくるとそれだけで哲学的な雰囲気に包まれるんですが、な〜んか人が好さそうなので観ているほうとしては深刻になりすぎずに済みます。 それにしてもほぼ毎日大根汁だけで生きている滝田裕介の栄養状態は大丈夫なのかしら?それとも近ごろ流行のポリフェノールのお陰で健勝なのかしら?「切れ目を入れてもサイの目に切っても所詮、大根は大根」と、ぼそぼそと語るシーンがなぜか印象的でした。 人は与えられた環境で生きて行く事が定め。私は村を去る河原崎の後ろ姿に、人間と妖精との境目で浮浪し続けるムーミン谷のスナフキンを思い出していしまいました。ギター持ってたらきっと歌ってくれたかも?曲名はもちろん「おさびし山(月山)の歌」。 (1999年02月23日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16