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華の乱


■公開:1988年
■制作:東映
■監督:深作欣二
■助監:
■脚本:深作欣二
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:吉永小百合
■備考:馬が出てくる映画は基本的に支持いたします。


 歌人、与謝野晶子・吉永小百合は名士の娘・中田嘉子を出し抜いて妻子持ちの歌人、与謝野寛・緒形拳と結婚し、11人の子持ちになった。結婚後、寛は才能の行き詰まりからか妻の収入を当てにして毎日フテ寝をするだけの無為無策な日々を送るようになる。そんな寛にはすでに晶子はなんのトキメキも感じなくなっていた。

 帝国劇場へ松井須磨子・松坂慶子の芝居を観に行った帰り道、晶子は無政府主義者の大杉栄・風間杜夫とその仲間・内藤剛志が警官隊と乱闘になっている現場に居合わせ、偶然、女性記者・池上季美子と一緒にサイドカーを乗り回していた作家の有島武郎・松田優作に出会いお互いに強く引かれる。 池上には彼女を人形のように扱う実業家・成田三樹夫という夫がいたが彼女もまた有島に惚れていた。

 寛が突然、郷里の選挙に立候補すると言いだした。後援者は中田嘉子の叔父。元々、選挙には関心がなく、田舎の人々独特の近視眼的な政治センスを素直に非難した晶子は寛の怒りをかって、一人で帰郷。案の定、落選した寛は結核に罹った中田と同棲生活を始めてしまい家に戻らなくなった。

 松井須磨子の情夫だった島村泡月・蟹江敬三が病死した。常にわがままで勝ち気な須磨子だったが、泡月の死の直後、共演者の男優・石橋蓮司の胸で泣きじゃくり、後追い心中をしてしまう。

 妻を亡くして二人の息子と暮らしていた有島と晶子はますます親しくなる。子供たちが集団風邪で苦しんでいた時、有島から北海道旅行の誘いを受けた晶子はすべてをなげうつ覚悟で家を出る。全身で晶子と愛しあった有島は、新しい自分を発見するために親から受け継いだ農場を小作人たちに解放する。しかし特攻警察にマークされた彼は農民たちが痛めつけられるのをなす術もなく見ているしかなかった。

 家族を捨て切れない晶子と別れた有島は、数日後、池上とともに軽井沢で心中する。晶子は一時の激情からとは言え見捨てようとした子供らに心の中を見透かされ自分の行動を深く反省した。有島の葬儀に現われた寛に連れられて来た中田は余命いくばくもない様子だった。

 中田が死ぬと寛はまた晶子の世話になるために家に戻ってきた。間もなく関東大震災が一家を襲い、晶子は家も財産も失ってしまう。災害に乗じて社会主義者や朝鮮人を抹殺しようとした警察の手によって大杉とその妻・石田えりが拷問死した。逮捕され引きづられていく内藤たちに、せめて食料をあげようと晶子は必死で後を追い握り飯を渡した。

 一面焼け野原の東京。親しい人々が次々と死んでしまい悲しみに暮れていた晶子は、大勢の子供たちのためにもたくましく生きていく決心をするのであった。

 有島武郎の二人の息子が登場しますが、あの片一方が後の俳優の森雅之なんでしょうかね。そう思うと感慨深いものがありますが、映画全体を見渡すとなんというかゴチャゴチャしていているばかりで、まるで歴史の教科書を2〜3ページ飛ばし読みをしているような感覚に陥ります。

 豪華な出演者、なんですが、どうも、この、あまりリッチな気分になれないんですね。

 「ダイヤモンドの詰め合わせ」という感じなんです。ダイヤモンドは大粒のが一つか二つ別珍張った小箱にうやうやしく陳座ましましているからこそ「リッチな感じ」がありますが、ただ数だけそろえてしかも材木の薄皮でできた寿司の折り詰め箱に無造作につっこまれても「合計金額」だけは凄いなと思いますが全然素敵に見えないでしょう?そんな感じです。

 北海道のニセコにあった有島農場でデートする松田優作と吉永小百合。北海道らしく二人とも馬にまたがって登場します。

 松田優作はこの映画で初めて馬に乗ったらしいんですけど、乗っていたのがおとなしいハーフリンガー種だったせいもあってなかなか上手に乗りこなします。「影武者」なんかだと乗りやすいウエスタンの鞍に細工をしたのを使ってますが、優作のはブリティッシュなので短時間でよくあそこまで、と感心しました。運動神経やバランス感覚が相当イイ人だったんですね。

 小百合ちゃんは早稲田の馬術部(ただし1年のときだけ)ですし趣味で時々乗っているそうですから当然上手に乗れます。しかし本作品ではアマゾン鞍(横乗り)なのでかなり難しそうでした。

 優作はすっかり馬が気に入って、撮影の合間も馬の傍を離れず、馬方をつとめた日高ケンタッキーファームの職員に馬のことをとても熱心に質問していたそうです。好きなもの、心をひかれたものについて何でも知っていたい、とことん付き合いたい、という性格なんでしょうね。そういう点では有島武郎的なキャラクターは生地である、と言えるかもしれません。

 アレコレ詰め込み過ぎてますが、役者個々に見せ場を作る配慮はばっちりでした。観客はスタアを見にきてるんだから、というコンセプトには大変に忠実な作り手なのでそこんところはとても満足できます。なんで深作欣二なんだろうなあ、という疑問が最後までつきまとうのが難点ですけれどね。

1999年03月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16