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ザ・ゴキブリ


■公開:1973年
■制作:石原プロ、東宝
■監督:小谷承晴
■助監:
■脚本:小谷承晴
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:渡哲也
■備考:大都会のルーツ?


 社会のゴキブリである広域暴力団の組長・安部徹の片腕を吹っ飛ばした事により過剰防衛の罪に問われた刑事・渡哲也はかつての部下・峰岸隆之介(現、徹)に迎えられ出所した直後に襲撃された。

 警察内部に内通者がいると睨んだ渡は刑事を退職した峰岸とともに漁師町の警察署に流れ付く。峰岸を馴染みの網元・高品格に預けた渡はさっそく署長・伊沢一郎に挨拶に出向く。同僚の刑事・青木義朗は渡を襲ったちんぴらを取り調べるが、数日後、ちんぴらは自殺に見せかけて殺されてしまう。

 公害問題を起こしている地元の大企業の社長・南原宏治は、元検事の弁護士・河津清三郎と結託し、安部の組の手下を使って、廃液垂れ流しの資料を持ちだし内部告発をしようとした研究員を暗殺する。その事実を知った渡は遺族に会い研究員が自宅の便所に隠した極秘資料を入手する。

 南原は渡への復讐に燃える安部をさらに利用し、行方をくらました峰岸の居所を警官殺しの濡れ衣を峰岸に着せることで割り出し、渡の目前で彼を射殺する。峰岸の後輩・沖雅也はスナイパー・トビー門口に狙撃されたが、渡に協力し門口の乗ったモーターボートを爆破する。

 渡の研究資料を奪おうと目論んだ南原は、まず情婦に河津を殺害させ、捜査に出向いた渡の車に買収した青木を差し向ける。渡と青木が車中で争っている間に、二人の乗った車は南原の手下に生き埋めにされてしまうが、渡は青木を締め殺し、車の後部を爆破させてまんまと脱出に成功する。

 ラブホテルでいちゃいちゃしていた安部と情婦を射殺した渡は南原と直接対決。陸上競技場で向かい合った二人。南原の手にはなんとニトログリセリンが。すでにマスコミへのリークを大学教授から断わられ、資料の使い道を失っていた渡は、南原が資料を手にして一安心したスキを狙ってニトロの小瓶を拳銃で撃ち、南原もろとも大爆発させた。

 人知れず町を後にする渡を見送ったのは、一時自信喪失気味になっていた沖であった。刑事を続ける決心をした沖を頼もしそうに見つめながら渡の乗った列車は発車した。

 今となってはコレ観た観客のほとんどが「大都会」あたりを想像するんだろうな。そいでもって一部の濃い観客なんかは、峰岸隆之介あたりに後の松田優作とかの姿をチラホラ垣間見たりするんだろうな。とは言え、そこはそれエログロバイオレンスを全て外注制作させていた東宝だから、テレビとは比較にならないブッ飛び加減であることに異論を唱えるものは無かろう。 

 正義の味方のくせにやくざも女も容赦無く撃ち殺すっていうのが凄い。

 特に、砕岩場で締め殺した青木義朗と一緒に車ごと生き埋めになった渡が、拳銃の弾丸を解体し火薬を集めて即席爆弾をこしらえ自分が乗っている車のリアを吹き飛ばして脱出するシーンなんか冗談もここまで行けば立派だな、と感心してしまう。

 脇役も各々に派手な見せ場がある。前作「ゴキブリ刑事」で片腕吹っ飛ばされた安部徹なんか回転ベッドの上で全裸の情婦と一緒に撃ち殺され血の海を泳ぐのである。さすが愛敬度ナンバーワンの悪役、安部徹。偽装解散で白々しく泣きまねしたり、惨めに死ぬときさえもおバカっぽくて素敵。

 南原の手にニトログリセリンを見つけた瞬間から観客にとって彼の末路を想像するのはたやすい事だった。この映画の南原はみごとな長髪なので、一昔前の大手広告代理店の参事クラスの人を想像させて笑える。つまりカタギの仮面を被った「うさん臭そう」な人物造形が相変わらず職人芸の域であるなあ、という事。

 ここまでうるおいの無い大量殺人をやらかしても、主人公は絶対不死身でしかも戦う相手が公害問題ってのが素晴しい。粗雑で乱暴だが社会悪にたち向かうわけだから、手段はこの際だから眼をつぶるとして、主人公はやっぱり社会正義の使途なんだ、と観客は納得できるのだ(そうだろうか?)。

 怪獣のゴジラまでが公害と戦っていた時代だからこそ生まれ得た作品と言えようか、それとも、海を愛して止まない石原裕次郎にとっては工場廃液たれ流しする企業こそが人類最大の敵だと言いたかったのか。結局のところ、続編を狙ったのか警察内部の不正弾圧は手付かずっていうラストシーンなのがイマイチ、ではある。

 安部に組の解散を押し付ける右翼の大物代議士・丹波哲郎がワンシーンのみ登場。全ての悪銭はコイツのところへ集まっているはずなのでこの人が一番の悪党なのだが、ともかく丹波先生が出てくるだけでなんとなく映画全体が「大作」っぽく見えてしまうところがミソ。

 本作品は単なる刑事アクションかと思いきや、公害撲滅を訴求する社会派映画であったのだ。いくら自動車をジャンジャン燃やそうとも、モーターボートを海上で爆破しようとも、その心根はエコロジー。さすがは洗剤渦巻く多摩川(東京都と神奈川県の境を流れる一級河川)に鮭の稚魚を放流した人間の作る映画であるなあ、と一人で納得した次第。

1999年02月16日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16