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エノケンのとび助冒険旅行


■公開:1949年
■制作:新東宝、エノケンプロダクション
■監督:中川信夫
■助監:
■脚本:山本嘉次郎
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:榎本健一
■備考:今までの日本映画に子供を本当に楽しませる娯楽映画が一体あっただろうか。子供の夢は、いつの世にも健全で明るく楽しいものである。夢と冒険とロマンの世界、これこそが子供の望むものであり、いいかえれば、万人の共通した願望である。 (by 榎本健一)


 戦乱がつづき荒廃した都で、あやつり人形師のとび助さん・榎本健一は母と生き別れになったお福ちゃん・ダイゴ幸江と出会う。

 人さらいに連れて行かれそうになったお福ちゃんを助けたとび助さんは、石で頭を殴られて数が勘定できなくなってしまう。これでは見物料の計算もままならぬと困ったとび助さんは、お福ちゃんの母親の里にあると言うどんな病気もすぐ治る「黄金の果実」を二人で探しに行くことにする。

 二人はくねくねと曲がった道の途中で、人の反対ばかりを言って意地悪をする「門の番人」に出会う。通せんぼする番人とニラメッコをしたお福ちゃん。子供の素直な心によって番人の顔がほころぶと道はたちどころに真っすぐになった。

 旅人が悲鳴を上げては逃げ戻ってくる峠で二人が出会ったのは顔がおそろしい二匹の熊。ところがこの熊たちは、相手が怖がったりちょっかを出さなければすこぶるおとなしいのが分かり、二人は熊の飼い主にもてなされて旅の疲れを癒した。

 楽しい事ばかりが続かないのが旅である。土蜘蛛の精に捕まった二人はあやうく餌にされかかる。なんとか脱出しようと穴の壁をとび助さんが掘るとそこから地下水があふれ出してしまう。土蜘蛛は濁流に飲まれたが、今度は二人がおぼれ死にしかかる。お福ちゃんが母親からもらったお守り袋に入っていた鍵で牢を脱出、二人は命拾いをした。

 たくさん歩いたので日が暮れてしまった。淋しい峠の道で出会った美人・旭輝子にのぼせたとび助さんは、お福ちゃんが止めるのも聞かず、一晩泊めて貰うことにした。夜中にばかでかい包丁を研ぐ女の姿を見つけたお福ちゃんは、あわててとび助さんを起こした。女の正体は口が耳元まで割けた人喰い山ん婆・旭輝子だった。必死で逃げ出した二人の目の前に突然、巨大な鬼が出現する。

 胆を潰したとび助さんを助けようと、お福ちゃんは鬼を誘い一本橋へさしかかる。橋の上に立った等身大の鬼をお福ちゃんがおだてて巨大化させたため重みに耐え切れず橋は真っ二つになり、鬼はまっさかさまに転落。後を追ってきたとび助さんとお福ちゃんは橋がないのでしかたなく、そのまま谷の両岸を里へ下る途中で二人は離れ離れになってしまう。

 とび助さんが迷い込んだ「いかさま」の町は、人形劇の見物料をふみたおすガキや、けんかばかりしている大人がいて一見にぎわっているようだが、とても雰囲気の悪いところ。

 見世物小屋のオヤジもとび助さんが勘定に弱いと見るや小銭をごまかして巻上げてしまう。とび助さんはそこで「ろくろ首」の見世物をやらされているお福ちゃんを発見。とび助さんはさっそくお福ちゃんを返して貰うよう頼んだがけんもほろろに断わられた。

 力持ちで正直なために町で一番馬鹿にされていた怪力男がとび助さんの味方をしてくれた。なんとかお福ちゃんを助け出したとび助さんは、今度は死の谷という魑魅魍魎が巣くう場所へ踏み迷ってしまう。

 大入道や大蛇に追いかけ回される二人。だんだん下がってしまうつり橋の下の川には大口を開けたアリゲータ、草原へ逃げれば巨大なガマ蛙が二人を食べようと迫る。お福ちゃんはお化けキノコ(マタンゴではない)に捕まりあわや!となったところで朝が来る。妖怪変化に見えたのは木や蔦だった。全ては怖いと思う心が見せた幻想だったのだ。

 お福ちゃんの里は富士山の麓にあった。黄金の果実は確かにあった。とび助さんが一口食べると効果てきめん、元どおり計算ができるようになった。そこで暮らしていた母と再会したお福ちゃんととび助さんは、三人で末永く一緒に暮らすことにした、めでたし、めでたし。

 子供に本当の笑顔を取り戻して貰うために、大勢の大人がガンバルってゆう心意気イイじゃないの!

 めくるめく冒険活劇を絵草紙ふうに徳川夢声のきれいな日本語のナレーションでゆっくりと、しかしながら、かったるくなく進むSFおとぎ話。ところどころに大人の世界のいやらしさを盛り込んで、子供の知恵と勇気を励ます工夫がちりばめられているのが優しいのよね。

 子供を信じてるんだよね、心から。信じられないような子供を作ったのは大人の責任だっていう覚悟があるんだよね、作り手に。

 背景は紙芝居風のマット絵が主体で全体を統一しているファンタジックな雰囲気にはぴったり。前半の珍道中から後半の冒険活劇までエノケンはでしゃばらず、お福ちゃんのサポート役に徹していてなんとも気持ちがよい。冒頭にかかげたコンセプトを貫いている制作側のあたたかい心根がしみじみと嬉しいのね。

 パースペクティブ強調法による大入道とか、びっくりするとおっ立つとび助さんのチョンまげ、いずれもシンプル(今見れば)な仕掛けだが、登場のタイミングやテンポの良さはスラップスティックスギャグのお手本を見せられているようで現代の大人が見てもワクワクすること受け合い。

 子供を怖がらせるような人殺し映画ばっか作って褒められたってひとつも偉かねえぞっ!子供を心から喜ばせる映画を作ってみろい!と声を大にして叫びたくなりますぞ!大人のみなさん。

1999年01月21日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16