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力道山の鉄腕巨人


■公開:1954年

■制作:新東宝

■企画:

■監督:並木鏡太郎

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:力道山

■寸評:


 この映画タイトルだけだとまるで力道山が巨大化するみたいだが、そういうことはない。

 ポリオを患っている少年の父・柳家金語楼に同情した人気プロレスラー、力道山・力道山(本人)はハードスケジュールの合間をぬって、少年の自宅へ見舞に来てくれる。突然の訪問に興奮した少年は、その夜、こんな夢を見た。

  人語をほとんど解さない和製ターザン・力道山は虎皮のパンツに髭面で顔はいかめしいが、子供と動物にはとても優しい。ある日、人里離れた研究所にこもっていた博士・古川録波がギャングに襲われるのを目撃した力道山は、虫の息の博士から放射能を除去する装置(コスモクリーナー、ではない)を渡され、研究書類を預けた一人娘を探してくれるように頼まれた。

 近所にライオンや黒豹やワニが生息しているにもかかわらず、ロケーションはどう見ても伊豆高原。つまり力道山が生活していたのは熱川バナナワニ園なのか?など観客に考えるヒマを与えず事件はどんどん進む。

 ギャングを追跡する力道山と少年。隣接する温泉地がモロ見えになってしまうと台なしなので、マット合成で巧みに誤魔化した断崖絶壁から東京行きの汽車に飛び乗った二人は、そこで出くわしたギャングたちからなんとか逃げ延びるが、乗っていた貨物車を切り離され海に転落してしまう。

 被爆マグロと一緒に陸揚げされた力道山は高濃度の放射能に汚染されていたので、検査官・松本朝夫はあわてて力道山を保護しようとするが、パトカーに驚いた力道山は銀座方面へ逃走。マスコミからほとんどゴジラのような扱いを受けた力道山は、心優しい少女歌手・松島トモ子とキャバレーのホステスに匿われて一安心したのも束の間、洋服を着ることや布団で眠ることが苦手な力道山が木の上で熟睡しているスキにギャングが少年を誘拐してしまう。

 ギャングのボス・安部徹は博士の助手・小笠原弘を買収して娘を誘き出させようとする。少年を探していた力道山は、ギャングを発見して追いかけるが彼等が研究所から持ち出した殺人光線銃のために取り逃がしてしまう。警察に逮捕された力道山が、少年の行方をタクシーの運転手・内海突波から聞き、いてもたってもいられず留置所の鉄格子を握って暴れた途端、なんと警察署の建物が大揺れを始める。

 この手の冒険活劇映画の場合、警察は頼りにならないというのが鉄則だ。ギャングの魔手から逃れた少年とともに保護した博士の娘を事情聴取していた警官・丹波哲郎は、イキナリの大揺れに驚いて「署長、地震だ!地震だ!」と大騒ぎ。

 そんなマヌケな警察とは違い、かしこい少年は放射能除去装置で力道山を救い、ついでにギャング団の黒幕がキャバレーのオーナーであること突き止める。

 キャバレーに乗り込んだ警官隊とチンピラたちが銃撃戦をしている間、力道山はキャバレーの外人オーナーと一騎討ち。手下がピストル持ってるクセになぜか丸腰のこのオーナーが上着を脱ぎ捨てると信じられないくらいのムキムキ野郎。やっぱりね、と観客が予想したとおりいきなりプロレス対決へともつれ込み、力道山は見事にベアハッグで外人レスラーをノックアウト。おまけにボス直属の部下だけは全員、日本プロレスの人達なので、力道山も手加減なしでバンバンやっつける。あまりのスピードにフレームからはみ出すこともしばしばなのだが、ともかくホンモノの迫力ってやつはやっぱり凄い。

 力道山のフェアプレーに刺激された小笠原が正義に目覚めて安部の悪事を告発したため、安部は慌てて逃げ出す。馬鹿と煙は高いところが大好きだという諺のとおり、切羽詰まった安部はなぜか電波塔の上に逃げる。上半身裸のまま現場に駆けつけた力道山は、いきなり電波塔をムンズとワシ掴み、そのままユサユサと揺すり始めた。鉄塔のてっぺんでキングコング状態だった安部はダミー人形になって転落死。研究資料は無事に博士の一人娘の手元へ戻った。

 すべては少年の夢のなかの出来事だった。ちょうど近所へ興行に来た力道山は少年をリングへ招く。それまで満足に歩くこともできなかった少年は、力道山のファイトに感激して見事に一人で歩けるようになるのだった。

 力道山の初出演映画。当時の人気プロレスラーがいっぱい出てくる。

 博士の発明した光線銃で撃たれると、影だけ残して人でもモノでも蒸発してしまうというシーンに原爆のイメージが鮮明である。同年誕生した「ゴジラ」と抱き合わせで考えると、やはり映画は風俗を反映する鏡であることが改めて実感できよう。

 ゴジラと力道山。フィクションとノンフィクション、陰と陽を体現した異形のヒーローが同じ年に映画デビューを果たしたことに神の摂理を感じるのは私だけだろうか。大げさだなあ、、。

1998年08月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16