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戦争の犬たち


■公開:1980年

■制作:アサルトプロダクション

■企画:

■監督:土方鉄人

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:飯島洋一

■寸評:「プラトーン」なんかメじゃねえぜ!


 某大手企業の社員が中越紛争にまきこまれゲリラの人質になった。国交問題になるのを恐れた政府高官・ 草薙幸二郎は、右翼的な警備会社の社長・佐藤慶に極秘裏に救出を依頼。佐藤は元自衛隊員で海外傭兵のベテラン・青木義朗に日本での傭兵ビジネスを勧め、その初仕事として本件の解決を命じた。

 青木は早速、右翼・安岡力也やヒマな無職野郎・飯島洋一、馬鹿・たこ八郎たちを高額報酬で雇い、山奥で厳しい訓練を始めた。当然、戦地に駆り出される事など知る由もない新人たちは、非合法な兵器を撃ち放題の合宿にヘラヘラと参加するが、次第に厳しくなる訓練に耐え切れず、たこは脱走を計る。

 侵入者と間違えられたという理由で、たこは射殺された。青木の命令により、飯島たちは東南アジアのラオ国の山奥で共産ゲリラと戦うハメになる。激しい戦闘の最中、負傷した部下を平然と射殺する青木。飯島は次第に戦争大好き人間へと変貌して行く。

 ついに人質を救出した一行はゲリラの主力部隊と直接対決。数で勝り、土地カンもあるゲリラの攻撃に、飯島の仲間は次々と倒され、飯島と仲の良かったスキンヘッド・清水弘も青木に見殺しにされる。逆上した飯島は青木とともに、救出した人質に銃を発射する。ゲリラの集中砲火を浴びながらも必死で山中へ逃げた飯島はジャングルを夢遊病者のようにさまよい続けた。  フラフラになって滝壷で一休みしていた飯島の眼前に瀕死の重傷を負ったはずの青木が現われ、もの凄い形相で襲いかかってくる。死闘の末、清水の遺品の竹製ナイフで青木をメッタ刺しにした飯島は、勝ち目のない逃亡をさらに続けるのだった。

 この映画の事実上の主演は、日本映画の男優史上、最も強力なハードボイルダーである青木義郎である。若い出演者たちに漂うホノボノムードとは格段の男くささと渋さと所帯臭さ。子供の戦争ゴッコに切実な恐怖を与える大人力を余すところなく発揮してマジに怖い。

 こういう映画を見ていると、今地球のどこかで行われている戦争で多くの人間の命が日常的に失われている事実にハッとさせられる。佐藤慶が「傭兵は必要悪」と言うのは全くの事実。その戦争で金儲けしている奴がゴマンといるのも、これまた厳然たる事実。

 たこ八郎は今さらながら得難い人材であったことを痛感させられた。テレビじゃもうひとつ伝わらなかったこの人の、真摯なボケぶりには一点の嫌味も無い。他人を馬鹿にしない、馬鹿を見下さないで、馬鹿を演じることはとても難しい。およそ人情やヒューマニズムとかをウリにしている演技派の人達はどこか空々しいものだ。

 しかし、たこ八郎の必死さ、必死を経験した人間のある種の凄味かもしれないが、家族の写真をポケットにしまい込んだまま虫ケラのように容赦無く討ち殺される姿には「プラトーン」のウィレム・デフォーも脱帽することであろう。比較するのはどうかと思うが。

 青木義郎の凄味とたこの凄味。大人の世界というのはかくも種々雑多な人間ドラマが錯綜した戦場なのである。その中で、自分の知らないもう一つの「社会」を知って破壊されていく主人公。そこんところの主題は「戦後生まれ甘ちゃん」気質丸出しだが、それこそ作者の言わんとするところだったのかも。

 すっとんきょうな原住民の村長、実はゲリラの指導者という役で梅津栄が出ている。国籍と人種と年齢と宗教と性別から逸脱したキャラクターを演らせたら間違いなくピカ一だな、と思った。

1998年12月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16