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女巌窟王


■公開:1960年

■制作:新東宝

■企画:

■監督:小野田喜幹

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:三原葉子

■寸評:


 九州のキャバレーの踊り子姉妹・三原葉子万里昌代。キャバレーの支配人・澤井三郎は密かに麻薬の密輸に手を貸していた。元締めはやくざのボス・江見俊太郎。なにも知らない三原の弟が取り引き現場を襲撃された責任をとらされて監禁される。一本気なちんぴら・高宮敬二は三原の恋人だったので、弟を逃がしてやろうとするが、投げナイフが得意な殺し屋・沖竜次に発見され、弟はその場で殺され、高宮と三原と万里は南海の孤島に連れて行かれる。

 対立するやくざと壮絶な銃撃戦になり、どさくさにまぎれて逃げようとした三原たちだったが、姉妹を逃がすために高宮が殺されてしまう。三原と万里は廃坑のような洞穴に閉じ込められてしまうが、岩を掘り進んで脱出をはかる二人は途中で海賊の財宝を発見する。やっと外へ出られた二人は偶然通りかかったヨットの青年・吉田輝雄とともに密かに横浜へ向かう。

 姉妹が死んだと思っている江見は麻薬の取り引きでさらに勢力を拡大し、最近、横浜に現われた謎の富豪から大規模なプロジェクト任される。しかし、何者かの妨害が次々に起り、江見は次第に落ちぶれ始める。富豪の正体は三原だった。姉妹は度々正体が暴かれそうになるがその度に吉田に助けられる。ついに江見を追い詰めた三原はあと少しで復讐を遂げられそうになるが、そこへ警察がかけつけた。

 姉妹に同情した吉田と恋仲になった万里が、三原に人殺しをさせないように警察に連絡をしたのだった。江見と澤井は逮捕された。吉田と結婚することになった万里を、三原は心から祝福するのだった。

 本作品の見所は?そりゃズバリ、主役二名のグラマー女優に尽きる。

 冒険活劇と言えば舞台は南洋の孤島と相場が決まっている。それも、主役は新東宝の「巨乳一号二号」とうたわれた(嘘)、三原葉子と万里昌代である。この映画が目指すものは一目瞭然だ。本作品は同年制作された「女奴隷船」にスリラー風味を加えて「女真珠王の復讐」もブッコんじゃえ!というほぼイキオイだけで作られた、とてもゴージャスな扇情的映画なのである。

 ミラーホールが艶かしい、淫びなキャバレーのフロア。妖艶なレオタード姿でダンスを披露する三原と万里。孤島に置き去りにされてからは、セミロングのワンピースは尖った岩でビリビリに破れてしまい、挙句に「暑いから」という理由で乳首が見えそうなブラジャーとパンツが丸見えのミニスカになってしまうのだ。しかも、化粧は全然落ちないのである。

 とってつけたようなスリラー風の復讐劇や、遊園地の遊具から転落死する沖の熱演も、完全なるオマケ状態。獲物を狙う化け猫のような、笑みをたたえてフロアダンスを踊りまくる三原と万里の顔と、恐怖にひきつった江見の顔がフラッシュバックするクライマックスは見るものを圧倒する馬鹿馬鹿しさに満ちていて、観客を脳死状態に追い込むという素晴しいシーンとなった。

 出てくる二枚目の高宮敬二と吉田輝雄は、新東宝のハンサム・タワーズの中でもひときわ目立つタッパと小顔がウリの濃い二枚目。芝居は下手だったが、特に吉田には無思想な生真面目さのようなものがあり、いかなるヘンテコな映画であってもこの人が出てくるだけでなんとなくホッとさせられるから不思議である。

 被害者だった女性が瞬間的に加害者へ回る。これも一つの毒婦モノなのだろうが、明るい太陽とモダンで陽気な三原葉子のキャラクターのおかげで陰湿な雰囲気がまるでない。キワモノでありながら、ちゃんと真面目にアドベンチャーもしている、無国籍冒険活劇映画。

1998年07月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16