純情部隊 |
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■公開:1957年 ■制作:東映 ■企画: ■監督:マキノ雅弘 ■助監: ■脚本: ■撮影: ■音楽: ■美術: ■特撮: ■主演:力道山 ■寸評: |
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大相撲の関取、力道山・力道山(本人)は応召兵である。同じ班の仲間、進藤英太郎、杉狂児、堺俊二、ディック・ミネらと励ましあいながら厳しい教練にあけくれる毎日であった。ある日、古参兵から靴磨きを命じられた力道山が、ボタンを無くして困っていた仲間と一緒に探している間に、いじわるな古参兵がその靴を隠してしまうという事件が起きる。隣の班に探しに行った力道山はみんなから嫌味を言われるが、古株の班長・広澤虎造が取りなしてくれた。 杉は下士官・東千代之介の靴を替りに持たせてその場をしのごうとするが、古参兵はこれを見破り、力道山を下士官の前に引っぱっていく。心やさしい千代之介は事情を察して「その靴は力道山にやったものだ」と言ってくれ、古参兵たちにいじめは止せとかばってくれた。 外出を許された力道山は病気療養中の親方に会いにいく。弟弟子・山本麟一と親方の娘・星美智子から、親方が危篤で今すぐ輸血が必要だと言われた力道山は大量の献血をして、フラフラになってしまい、あやうく門限破りをしそうになるが、ラッパ兵の杉が気を効かせてことなきを得る。 やがて力道山が所属していた部隊に出撃命令が下る。覚悟を決めた力道山が仲間の手でささやかな断髪式を行いチョンマゲを切り落とした翌日、幸か不幸か戦争が終わってしまう。親方の元へ帰ろうとした力道山であったが、病の癒えた親方は部屋を廃業して故郷へひっこんでしまった。苦楽をともにした進藤、杉、堺らは力道山とともに「たとえ乞食になっても5年後に再会しよう」と誓って別れた。 戦後の復興期、進藤英太郎は会社の社長になり、杉狂児は進藤の秘書になった。堺俊二は役者として活躍していた。堺の紹介で集まった面々が立ち寄った料亭には今をときめく映画スターが来ているという。なんとそれはあの心やさしい下士官の千代之介だった。一同は旧交を暖めあっていたが、力道山だけが姿を見せなかった。 力道山はディック・ミネが専属歌手として歌っているキャバレーのサンドイッチマンに落ちぶれていた。見かねた進藤は力道山に「マゲが結えるまで待ってはいられないから、プロレスラーになれ」と奨めた。堺、杉、千代之介らの後押しで厳しいトレーニングに耐えた力道山は破竹の連勝を続ける。 柔道界から鳴り物入りでプロレスラーになったライバルは、あのいじわるな古参兵だった。力道山は日本チャンピオンを賭けて彼と戦いついに勝利するのだった。 力道山という素材を渡されて一本撮れと言われたら誰が撮ってもこんなもんだろうと思う。 出演者も各々、現実とお話しがシンクロしていて見ているほうをニヤリと笑わせる作りになっている。進藤英太郎は当時、東宝の「森繁の社長シリーズ」に対抗して東映が量産していた「進藤の社長シリーズ」で活躍していたし、堺俊二はコメディアン兼役者という設定だし、ディック・ミネは歌手だし、東千代之介は芸者やホステスにモテモテの二枚目役者という「そのまんま」で、しかも実名で出てくるのだから。 力道山をヘンテコなスーパーマンもどきにしたりしないで真面目に描いており、当時の日本人にとってはまだレアだった戦争体験を折り込んで、琴線を刺激する上手い仕立てであるが、いかんせん、はるか後時代の観客にとってはこのような風俗描写は全く共感できないので、作り手の意図通りの楽しみ方はできないが、おじいちゃんの昔話に耳を貸すような姿勢で観ていれば結構すんなりと入っていける。 一般の観客が、プロスポーツ選手に対して見世物的な要素を求めない現代では、本作品のような興行的な映画はあまり高い評価を受けないのだが、昔の風俗を知るにはこういうお気楽な娯楽映画が一番良い。「ダサイ」などとソッポを向かずに義務教育ではスッ飛ばす近代日本史のお勉強つもりで見てみようではないか。 (1998年07月19日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16