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残酷おんな情死


■公開:1970年

■制作:日活

■企画:

■監督:西村昭五郎

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:真理アンヌ

■寸評:アンヌといえば真理アンヌ


 高級コールガール・真理アンヌは仕事の最中にしょっちゅう自殺未遂をやらかすので、ヒモの岡崎二郎は気が気ではない。例によって睡眠薬を大量に飲んでのたうちまわった真理は、たまたま田舎から出てきて行きずりのオジサン・田中春男にホテルに連れ込まれた若い娘・大堀早苗の部屋に転がり込んでしまう。

 大堀は真理の部屋に居候するが、あやうくコールガールにされそうになり逃げ出して六本木のスナックでアルバイトを始める。ある日、スワッピングパーティーに誘われた大堀は偶然にもレズビアンに目覚めてしまう。顔を隠していた相手の女は真理だった。真理もレズになってしまったので、ますますコールガールの仕事に身が入らなくなる。責任をとらされた岡崎はリンチにあい、大堀は岡崎の所属する暴力団の幹部・杉江広太郎に捕まって関西へ売り飛ばされそうになる。

 真理は大堀とともに行方をくらましトルコ嬢になって働くが、杉江は二人を執拗に追いかけ埋立地で大堀を輪姦する。逆上した真理が岡崎を刺殺。驚いた杉江たちが逃げ出した後、真理は大堀と一緒に廃船の中で抱きあいながら心中した。

 西村昭五郎と言えばロマンポルノである。本作品は彼のロマンポルノ以前の作品であり、興行的に大失敗をこいたため、彼の手からしばらくメガホンを遠ざけたいわくつきの作品なのである。おそらくは当時も、そして現代でも分かりにくい作品であることは間違いないし、どこが面白いのかもまた、よく分からない作品である。

 モノクロの陰鬱な画面に描かれる登場人物の焦燥感と絶望感。真理と大堀のセックスシーンはそこへ至る経緯を含めてきわめて難解である。つまり、観客がストーリーを理解するステップをすっ飛ばして作り手の思い込みだけで突っ走った感がとても強いのだ。

 制作会社の経営陣に嫌われる作品というのは概ね実験的な要素が多いので、見るほうもとまどう事が多いのだが、レズビアンを赤裸々にまっすぐ見据えた映画というのは、現在でも貴重なのではないかと思う。差別的な意図はないが、生物としては甚だアブノーマルな現象であり、それらが単なる興味本位のゲテモノ趣味でなく、かと言って理屈っぽくなく、陰惨でもなくきわめて自然に耽美的に描かれているのは、監督の感性のたまものと言えよう。

 男を知らなかった田舎のネズミと、男を知りすぎて絶望した都会のネズミの行き様が、最初は反発しあいながらも、ホモ、早漏、サドといった「変態野郎のみなさん」との様々な出会いのドラマを経て、互いに心と肉体がひかれあい、愛しあい、体を寄せあって炎に包まれるまでが、窒息しそうなほどの閉塞した空間に展開する。

 真理と大堀のドラマにだけ目を奪われがちだが、ラッパ吹きの夢破れて真理との心のつながり求めた岡崎が、真理アンヌの心も体も、こともあろうに異性に奪われて神経が破壊される過程にこそ作り手の思い入れが最も強いような気がする。自殺もできず、せめて惚れた女の手で殺される道を選ぶに至る岡崎二郎こそが作り手の気持ちを最も受け止めていると思う。

 経営者が激怒した理由も理解できるし、コケた理由も明確であるが、本作品に描かれたような女性(と男性)のセックスを現象とした「悲しみ」というテーマが後に「ロマンポルノ」という商品ラインで開花するのだと知っていれば、なかなか奥が深いと言えるのではないだろうか。

1998年07月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16