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幻の馬


■公開:1955年

■制作:大映

■企画:

■監督:島耕二

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:若尾文子

■寸評:経済動物とそれに関わる人間立ちのドラマ。


 馬を取り扱う人間に非常識な奴はいるが悪人はいない。ただし、これは馬に触っている人たちのことであって、触っていない人たちは概ね逆だったりする(かもしれない)。

 小さな牧場で生まれた子馬・タケルはある日、山火事にまきこまれてしまう。タケルを救った牧場のおやじ・見明凡太郎は全身火傷をおって死ぬ。見明の娘・若尾文子は近隣の大牧場主・柳永二郎の息子で獣医の・北原義郎のことが好きで、若尾のすぐ下の弟が東京の騎手養成所へ入るため北原に面倒をみて貰うことにした。下の弟はタケルが一流の競争馬になることを願うが牧場の経営は苦しいままだった。

 タケルの母馬が売られた直後、東京の馬主・千田是也がタケルを高く買いたいと申し出る。タケルと別れたくなかった少年であったが、ベテランの馬方・高堂国典に諭されて、兄とともに旅立つタケルを駅まで見送った。タケルは千田の厩舎で訓練を続け順調にタイムを伸ばす。

 晴れのデビュー戦で興奮したタケルは出走直前に騎手を振り落としてしまい出走除外になってしまう。少年の兄はタケルが観客の歓声で 山火事の轟音を思い出してしまうことに気がつき、繁華街や港に馬運車を停めて少しづつ騒音に慣れさせることにした。

 騒音になれたタケルは本領を発揮し皐月賞で優勝する。いよいよダービーが近づいたある日、厩舎のすぐ近くで火事があり小さい頃の記憶が鮮明に呼び覚まされたタケルは疝痛を起こしてしまう。馬主の千田はタケルをはげますために若尾と少年を東京へ呼び寄せる。タケルは少年の歌とハーモニカに勇気づけられ見事にダービーで一着になった。

 喜びも束の間、祝勝会の夜、タケルは厩舎で再び疝痛を起こし死んでしまった。少年は若尾に「ダービー馬でなくても良いからタケルを返せ」と八ツあたりする。泣きながら馬場へ飛び出した少年の頭上を、幻になったタケルが空高く登って行った。少年はタケルが精一杯努力したことを納得し、亡き父親にタケルの活躍を報告するために若尾とともに故郷へ帰っていくのだった。

 本作品のモデルは「幻の三冠馬」と言われたトキノミノルである。大映の永田社長がトキノミノルのオーナーであったことから制作された作品だが、馬好きの琴線に触れるシーンがたくさんあって私としてはとても嬉しい。

 馬産地の人々の苦労や、競争馬の育成についての説明、古式打球(馬に乗ってやるラクロスみたいなもの)などの馬に関連した神事や祭の情景がとても丁寧に描かれている。当時の人気騎手もゲスト出演しているし、特に少年の兄を演じた俳優はどう見ても馬に関して素人とは思えない。一応、日本馬術連盟B級騎乗者である私が見ても2ポイントの騎乗スタイルがバッチリ決まっている。出演者に「遊左〜」という名前があったから遊左大佐の関係者だろうか?う〜んちょっと穿ちすぎかな?

 馬と多少の付き合いのある者にとって、たとえ映画でも馬が死ぬのを見るのはすごくツライものだ。余談だが私は乗馬の競技中に心臓マヒを起こした馬が実際に死ぬところを目撃したことがある。馬というのは騎手にとっては命を預けた相手だから、単なる家畜やペットとは感覚的に全然違うものだ。どんな描き方をされてもウルウルしてしまうのだが、本作品ではアニメーション合成で朝焼けの空に、死んだ馬の魂が勇ましく駆け登るという幻想を見せて慰めてくれた。

 競争馬は経済動物ではあるけれども、それに関わる人々は馬のためなら骨身を惜しまない人達ばかりなのである。昨今、レース中に回復不能の怪我をした競争馬が薬殺されたりすると、競馬会に苦情が殺到するらしいが、どうか現場の人間を責めないで欲しい。こういう映画を見れば現場の人間が一番、馬を愛していることが知って貰えると思うのである。

 馬に対する愛情が心地よい、ハートフルな動物映画。

1998年08月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16