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宇宙快速船


■公開:1961年

■制作:ニュー東映

■企画:

■監督:太田浩児

■助監:佐藤純弥

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:矢島信男

■主演:千葉真一

■寸評:


 燃えさかる火山の火柱、そこからゆらゆらと登場する「ニュー東映」のブランドタイトル。短命だった会社の経営状態を示唆したのではないだろうが、それにしても、、、と、心の汚い大人が見るといろいろと楽しいタイトルに続いて「宇宙快速船」はスタートする。

 ソ連の人工衛星に対抗した国産の人工衛星を研究している博士・松本克平の研究所で働く若き科学者・千葉真一は子供たちのアイドル的な存在である。特撮映画に登場するお子様グループにはリーダー格の頭のよさそうな坊ちゃん、力持ち、チビ、メガネ、足手まといのデブなどが必須のキャラクターであるが本作品ではその伝統を踏襲した、まさに絵に描いたような和製スタンド・バイ・ミー(別名、少年探偵団とも)状態。

 お子様グループのヘッド・山本哲平は友達と人工衛星の観測をしていて、こともあろうに謎のロケットを発見してしまう。ここで素直に警察に連絡したりするとその後の展開がオモシロくなくなるため、お子様たちは無謀にもその中へ入ろうとする。そこへ突如現われたビンボくさいツナギと直滑降のイカヘルメットみたいなのを被ったヘンテコな奴らに襲われていたお子様たちを救ったのは、雑誌の付録についてきそうな粗悪なサングラスとヘルメットにマントというかなり恥ずかしい格好をした謎の人物であった。

 お子様たちは彼の「強さとカッコよさ」に敬意を表して「アイアンシャープ」と勝手に命名しただけではあきたらず、歌まで作曲するのだった。なんという展開の速さであろうか、と、驚いている暇もなく、宇宙人はさっさと地球征服を始めた。

 宇宙人たちは地球の気象を自由に操ったり、世界各国の電化製品を一時的にストップさせたり、時計を逆回転させたりして自分たちの科学力をアピール。最初はタカをくくっていた米国も「すわ、全体主義の某国(ソ連とはハッキリ言わない)の仕業か!」と大騒ぎし、対するソ連も「アメリカの謀略だ!」と言い返すという冷戦時代を象徴するようなシーンが登場。

 アメリカ人なみに無謀な子供たちが素手で持ち返った宇宙船のパーツから、彼等が海王星から来た本物の宇宙人であることが判明。防衛庁長官・神田隆や幕僚・山本麟一らに要請されて松本はエレキバリヤを開発する。困った宇宙人のボスはイカヘルメットにシャンプーハットみたいのを被ったとてもカッコ悪い人だったが、知恵は発達していたようで、バリヤの隙をついてちゃっかり研究所の近くに着陸し、ニセの自衛隊員を潜入させて電源設備の破壊と松本克平の暗殺を企む。だが、これも賢いお子様チームとアイアンシャープの活躍で未然に防がれた。

 研究所の近所で宇宙人と無神経なバトルをしたアイアンシャープのせいでエレキバリヤ装置が故障。千葉ちゃんは病に倒れた松本に代わってなにくわぬ顔で機械を修理するが、宇宙船が東京を攻撃し始めたのですぐに姿を消してアイアンシャープに変身(変装とも)し、宇宙人たちをやっつけるために小型飛行艇で銀座に直行。壮絶な空中戦の末に侵略者たちを全滅させたのだった。

 宇宙人はもちろん、アイアンシャープや科学兵器の隅々までデザインのセンスはかけらもなかったが、火薬を使わせれば日本一の東映(東京)。

 そのお家芸は映画の後半、円盤襲来による首都大爆撃のシーンに結実する。デパートの壁面をパースを強調したアングルから捕え、フィルムの上部をマスクしてミニチュアを合成、その下のエントランス部分は実寸セットを使用。セットの爆破とミニチュアの爆破のタイミングが絶妙で、ビルの高層階から地上の人々に破片がバラバラと落ちるシーンは実に素晴しい。

 地上のエキストラの頭上にはマスクされた部分のセットから発泡スチロールやベニヤの破片が降りそそぐ。これこそ東映特撮スタッフの手になる職人芸の賜である。すぐ本物をぶっ飛ばすハリウッドの成金映画スタッフが見たら、さぞや感激することであろう。

 爆破にかけるエネルギーの十分の一でよいから、なぜアイアンシャープの衣装とか、宇宙人のコスチュームとか、宇宙船のデザインのクリエイティビティに費やせなかったのだろうか?と不思議でならない。

 ちなみに宇宙人の標的になった有楽町のビルは「そごう」デパートにそっくり。日比谷の東宝が松坂屋なら、うちは有楽町の「そごう」だ!って東映会館に近いほうを狙ったんだとしたらそれはそれで馬鹿馬鹿しくて大好きさ。

 米国側のアナウンサーに地球の恩人ことハロルド・S・コンウエイ、ソ連側のアナウンサーに同盟軍司令官ことエド・キーンという東宝特撮ファンの琴線に触れるゲストの登用という豪華オマケ付。

1998年08月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16