超能力者 タカツカヒカル未知への旅人 |
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■公開:1994年 ■制作:東映 ■製作:岡田裕介 ■監督:佐藤純弥 ■助監: ■脚本:早坂暁 ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:三浦友和 ■寸評:銀幕の向こうの懲りない人々 |
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大手広告代理店に勤めるサラリーマン・三浦友和はある日、危篤になった母親を「手をかざした」だけで救ってしまったため、たちまちその噂が広まり、彼は超能力者として社内で有名になってしまう。 会社の同僚・長谷川初範にせがまれて社員食堂のスプーンをばかすかひん曲げ、食堂のオバサン・十勝花子に怒られた三浦は弁償のつもりで曲げたスプーンを次々に元どおりにしてしまい、さらに周囲を驚かせた。 カメラマン・中野英雄の親戚を「手かざし」で完治させた三浦は写真週刊誌に掲載されたことでその名前が全国的に知れ渡るようになったので、連日、三浦の会社のロビーには医者から見放された重病患者が彼に治療を受けるために押しかけるようになる。 真面目な勤め人である三浦は妻・原田美枝子の反対を押し切り、週末は自宅でも治療をするようになった。超能力治療を始めてから食欲が落ちた(その割にはふくよかな)三浦を心配したり、隣近所からの苦情に対応していた原田は三浦に治療をやめるように懇願するが「人助けのためだから」と説得され、とうとう急性アルコール中毒で入院する。 慌てた三浦が治療を中断すると、絶望した患者が近所のマンションからこれみよがしの投身自殺をやらかしてくれたので、原田もとうとう根負けし、夫に協力的になった矢先、社の重役・勝部演之に呼び出された三浦は、社長・フランキー堺から骨肉腫に苦しむゼネコンの社長・丹波哲郎の治療を依頼される。 丹波が元気になった事で三浦はさらに大物の治療を頼まれることになった。次期首相候補と噂される政界の大物・大滝秀治の入院先へ極秘裏に呼び出された三浦は「命懸けで治療しろ」と脅されビビッって逃げ出してしまう。 なぜかこの一件でおとがめ無しだった三浦は自分の能力を解明するために、中国四千年の気功を学ぼうと決心し仕事と家庭をほっぽらかして旅立った。 ドラマっぽい展開はここまでで、後はタカツカヒカル本人によるドキュメンタリーとなる。 気功治療や透視術などを取材し、自らも気功を体験したタカツカヒカル(ここから先はご本人)は、自分の超能力の正体が気功であると判断し帰国する。 機械を使わない「人間レントゲン」治療では脚本の早坂暁が突然、画面に登場し治療を受けるし、三浦の家にフランキー堺が本人として訪問するといきなり三浦友和とタカツカヒカルが入れ替わってたりして、ややこしいったらありゃしない。 そんなうさん臭いやりとりを経て、映画はエンディングを迎える。科学的な実験により次々と解明されたタカツカヒカルの超能力の効能は、その影響を受けた映画(本作品)やレコードを見たり聞いたりしただけで十分に効力を発揮することが「科学的に証明された」という本人からのメッセージとともに画面に延々と「気」を送るご本人の雄姿が、、、。 なんか「カチン!」と来る映画だった。 タイトルロールのご本人がまだ存命で、しかも出演までしてくれるわけだから、その人物像が無私無欲で仏様のように描かれているのは止むを得まい。出てくる人がほぼ、主人公の支持者のみに限定されているのも許す。 この映画で私が一番「カチン!」と来たのは三浦友和が演じるところの「フェノミナン」的なおとぎ話でも、タカツカヒカル本人によるセミドキュメンタリー部分でもない。それはフランキー堺が本人として登場した1シーンである。フランキーが本人のコメントとして「私も治療を受けまして、本当に凄い!って思いました」ってテレビショッピングのコメントじゃないんだからさあ、って感じなのだ。 その「凄さ」を芝居と映像で伝えるのが映画でしょう?それをいきなり役者「本人」が「素」で喋ってしまうなんて、そんなのプロの仕事じゃないよ。タカツカヒカル本人が言うなら許すよ、だって素人なんだから。プロの役者であるフランキーが言うのが許せないんだよな。 けなしてばかりだとご飯がまずくなるので、このへんで止めとく。 かと思うと、三浦友和が意外なほどに好演なのが救い。重病の友達を救いたい少女が、担当医・本田博太郎に追い返された友和に超能力を授けて貰うシーン。5歳かそこらの少女に「助からなくても君の責任じゃないよ」と言うのは少々突き放した風になりそうだが、友和の棒良みをアレンジしたような台詞とそよかぜのような芝居の普通っぽさと相まってなかなかグッと来る。 すでにお気づきのことと思うが、本作品のスタッフ、つまり岡田ジュニア、早坂暁、佐藤純弥。それに丹波先生、長谷川ショパン、本田博太郎は、あの「北京原人」の制作&出演メンバーと同一である。おまけに本作品も中国ロケ、、、。 この映画の撮影中に「北京原人」の企画がスタートしたのだそうだ。そう思って見ると作品全体からオーラのように立ち上る長期的な「うさん臭さ」がキルナースクリーンを通さずとも鮮明に見えるだろう。別に嬉しかないけどね。 (1998年08月20日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16