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複雑な彼


■公開:1966年

■制作:大映

■監督:島耕二

■助監:

■脚本:

■原作:三島由紀夫

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:田宮二郎

■寸評:モデルはあの安部譲二!


 国際線のスチュワード・田宮二郎は英語が堪能で物腰は洗練されていて万事スマート、おまけに長身で二枚目なので、同僚のスチュワーデスが放っておくわけがなく、彼もまた来るものは拒まずで、十六のときから女に不自由をしたことがないという羨ましい人生であった。ある日、彼が勤務する便に客として乗り合わせた商社の重役・佐野周二の箱入り娘・高毬子は元スチュワーデスの友人・滝瑛子から田宮は女ったらしだと吹き込まれる。

 佐野の友人である新聞者の重役・中村伸郎は英国赴任中に田宮と知り合っており、イカサマ外人にハメられて社を追われた田宮とは今でも交友があり、彼を高く評価していた。高は会う人ごとに違う顔を持つ田宮に強く興味をひかれ彼とデートすることにした。田宮はあけすけな性格で「自分は保釈中だ」と秘密を打ち明けた。

 田宮の周囲には正体の分からない紳士・若山弦蔵がつきまとっていた。若山は高に「田宮は日本に必要な男で、さる実力者がバックについてる」というような事をほのめかした。佐野の仕事の関係で急にリオデジャネイロに長期滞在することになった高を追って田宮も現地へ。二人は毎日のようにデートしたが身持ちの固い高は田宮の部屋に足を踏み入れる勇気がなかった。田宮は実父を捨てられない高とは結ばれないと悟り、帰国してしまう。

 初めて純粋な恋愛と失恋を経験した田宮は、自分のアパートを訪ねて来た高に背中の入れ墨を見せる。彼はかつて儀侠心から米兵とトラブルを起こしてしまい今は執行猶予中の身なのだった。入れ墨はそのようにイキがっていた若い頃に入れたものだったが、若山は「たとえあなたがその事実を受け入れても社会は拒絶する」と高に言った。それでも高はすべてを捨てて田宮と一緒になりたいと言うが、やがては破綻を来すから一晩じっくり考えるようにと若山に説得された。田宮もその現実を受け入れ若山とともに、高の前から永遠に姿を消すことを誓うのだった。

 「あしたのジョー」のモデルがたこ八郎だと知った時と同じくらい、本作品の主役のモデルの正体を知った時の衝撃は大きかった。いったいどこをどう叩けば「塀の中の懲りない面々」の安部譲二が田宮二郎になるんじゃい!(安部譲二さんごめんなさい、でも本音なんです)もちろん、これが逆だったら観客はもっと怒り狂うであろうから、ま、許してやろう(意味不明)。いいんだなあ、似合うんだなあ、やっぱ田宮二郎って言えば医者とかパイロットとかの高額所得的職業がお似合い、この映画ではスチュワードなんだけどさ。

 女ったらしの田宮二郎、適役である、異議なし!は、さておくとして、肝心のストーリーのほうは、耽美的でいかにも三島由紀夫っぽいと思うがやはり映画にして目に見えるようにするとどうも、この、生臭くなっちゃって、何がなんだかよく分からん状態なのである。ともかく主人公は型破りで、儀に生きる気骨のある人物で、今の(1966年当時)日本には見かけられなくなった魅力的な人物なのだ、ということらしい。

 三島由紀夫がその後どうなったか知っている現代の観客としてはいろいろと考えさせられるオチではあったが、、。

 原作の三島由紀夫も主役の田宮二郎も自殺してしまったのは偶然なのだが、なんとも奇妙な因縁である、今となっては。この映画の主題歌を歌うのは西田佐知子で、後に佐野周二の息子の関口宏の奥方になる人である。これもまためぐり合わせの妙と言うべきかも。

 この頃はまだお嬢さん然としていたのに、後に「プレイガール」に参加したの高毬子のあまりトーンの変わらない棒読み台詞がこの物語の浮世離れ度をアップさせて不思議な魅力。「魅力的な台詞まわし」と言えば若山弦蔵。暗がりから声だけ聞こえてくるとなんとなく「ガメラ対バイラス」を思い出す私にとってはマダムキラーボイスと言うより恐怖刺激に近いので、本作品のキャラクターはまるで「笑うセールスマン」の主人公(声・大平透)みたいだったなあと思った次第。

1998年06月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16