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二人の武蔵


■公開:1960年

■制作:大映

■監督:渡辺邦男

■助監:

■脚本:

■原作:五味康祐

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:長谷川一夫

■寸評:長谷川一夫のワンマン時代劇。とは言うもののワンマンではない長谷川先生の映画ってあるのか? 戦後。


 平田武蔵・長谷川一夫と岡本武蔵・市川雷蔵はともに武者修行中である。名前は同じだがストイックな求道者である長谷川に対して、片親で苦労したため栄達を夢見て単に強さだけを求めて腕を磨く雷蔵は正反対の生き方だ。各々が吉岡一門と勝負したので、二人は偶然出会うことになる。勝負をしたがる雷蔵を「お互いもっと名を高めてから勝負をしたほうが値うちが高くなる」と長谷川が偉そうに諭す。ここいらへんですでに勝負あったと見なすのは、客として正しい読みである。

 長谷川の師匠は幕府に仕えていたが今は隠居しており、娘と一緒に平穏に暮らしていた。雷蔵には故郷で知り合った武家の娘というフィアンセがいる。仕官の口を求めて旅に出た雷蔵を追ってきた彼女には、かつて武芸者との勝負に破れた父の仇を探すという目的もあった。

 御前試合で勝利した長谷川は柳生宗矩・林成年との勝負を申込み互角に引き分ける。長谷川は柳生家にとっていずれ脅威になると感じた宗矩の兄・田崎潤は長谷川暗殺を企む。同じ頃、柳生の客分、佐々木小次郎・勝新太郎は二人の武蔵の活躍を見守っていたが、いつかは勝負をつけねばならないと思っていた。勝は雷蔵の強さの秘密を探るため、師匠である唐人・見明凡太郎と対決し、これを倒した。

 柳生家の総首・中村雁治郎の娘・中村玉緒を暴漢・千葉敏郎から救った雷蔵は柳生家に居候していた。田崎は雷蔵に「おまえの師匠を殺したのは長谷川だ」とウソを吹き込んで二人を勝負させるが、殺人現場を目撃していた武士・本郷功次郎の証言によって真相が暴露される。細川家に仕官した佐々木と長谷川が舟島で対決し、勝利した長谷川は阿蘇で雷蔵と勝負をする。身ごもった婚約者と結婚するように雷蔵に諭した長谷川は一人で旅に出るのであった。

 雷蔵の婚約者の仇が実は長谷川の師匠だったり、長谷川暗殺の手助けをしていた田崎の妹・阿井美千子と長谷川のなさぬ恋とか、雷蔵と中村玉緒のほのかな愛情劇とか、あくまでもキレイキレイな善玉の林成年とか、まあ色々と見せ場があって複雑なストーリーなのだが、必要なところだけかいつまんだ感じてポンポン進む。

 ヒーロー二人分だから詰め込み過ぎなのは当然だが、急ぎ過ぎの感じが全然しないのは演出の技術というものであろう。武蔵と小次郎の一騎討ちの尺なんか正味2分くらいしかない。オイオイ、である。勝新太郎のツバメ返しなんかほんの申し訳程度だし、成年と長谷川の親子対決回避のシーンは、互いに状況説明をしながらチャンバラをさせて時間を節約する。その割には手傷を負わせただけで、雷蔵を諭す長谷川の見せ場はじっくりと腰を据える。

 大多数の観客は映画を見ることに努力しようなんて思わないのが普通だ。怠惰な観客には集中力がない。そういうものを観客に求める作品に出くわした日にゃあ、とっとと寝てしまう人々である。そんなボサーッとした観客を惹き付けるためには、必要なところをいかにテンポよく見せるかが肝要である。

 長谷川一夫に宮本武蔵?なんかカマっぽくてイヤだなあ、なんて思ってはいけない。出てればイイんである、そういう時代の映画なんだから、さ。

1998年04月25日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16