雪の渡り鳥 |
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■公開:1957年 ■制作:大映 ■監督:加戸敏 ■助監: ■脚本: ■原作:長谷川伸 ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:長谷川一夫 ■寸評:「鯉名の銀平」と同じ原作 |
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伊豆の下田の船大工、銀平・長谷川一夫は昔はちょいと鳴らしたやくざものだったが、今では弟分、卯之吉・黒川弥太郎と一緒に気質の船大工になっている。下田は古参の網元と新興やくざの漁場争いが深刻化する一方。船大工の親方・志村喬はやくざの親分・香川良介と話し合いをしに行くことに。 止める娘・山本富士子に志村は「長谷川はやくざの血が抜けないが、黒川なら素気質になれるから」と説き黒川弥太郎と結婚するように言い残す。そこへ銀平が来て「香川は自分の元親分だから、自分が行ったほうが良い」と言って志村を押し止めて家を飛び出す。 香川は長谷川をすげなく追い返す。面子を潰された長谷川はやくざ一家と対決することになった。長谷川は山本が好きだったので、対決前に「俺に惚れているのか?」とストレートに質問する。ついさっき、黒川と結婚しろと言われた山本は困り果ててなかなか気持ちを打ち明けない。単細胞ライクな思考回路を持っている長谷川は「じれったい!」と返事も聞かずに果たし合いの現場へ行く。こういう短気さが志村の懸念であったのだろう、腕っ節は大したことなくてもおっとり型の黒川を婿に選んだ志村の選択は父親としてとても正しい。 長谷川の後を追ってきた黒川は、長谷川に遠慮しながらも山本と夫婦になったことを告げる。嫉妬のためか、けんかの最中にピンチになった黒川を見殺しにしようとした長谷川だったが、やはりヒーローとしてはそんなことをしてはいけないので、さっさと黒川を助けた後、うさ晴らしのためか?さらに大勢の子分達を斬って下田を去る。4年後のある日、遠くの街で山本富士子にそっくりな売春婦・山本富士子を見かけた長谷川は強い郷愁の念にかられてしまうのだった。 長谷川が下田に戻ってみると、世話になっていた網元はすでに死んでおり、やくざが漁場を乗っ取っていた。志村はヨイヨイで、黒川は香川の組のちんぴら・沢村宗之助から立ち退きを迫られていた。雪がしんしんと降る夜、長谷川は香川の家に付け火をして手下連中をパニックにさせた隙に、人質になっていた黒川に香川を討たせてやり、自ら役人に名乗り出て捕まった。 長谷川一夫がドサまわりっぽい(こっちが地金か?)ケレン味で、実にのびのびとしている娯楽時代劇。娯楽映画のヒーローたる者は明るくて、適当に短気で思慮深くないというのが最良である。クサイんだけど、それを一点の照れもなく演る役者のナルシズム。 なくてはならない喧嘩シーンのド派手さ。長谷川にやられた子分が次々に倒れ込むのは、大漁旗の染料桶。赤やら青やら黄色やらの染料が、まるで血飛沫のように画面を彩る。血生臭さくないのに迫力がある。ここんところが演出テクの見せ所。 志村喬と香川良介という重厚なヴェテランの存在も忘れてはいけない。出てくるだけで善玉、悪玉がはっきりと分かるから観客は安心だ。特に悪玉側は主役のカッコ良さに直結するから責任重大。このような立派な押し出しの脇役が演出に箔をつける。 昔の時代劇を見ていて羨ましいのは、なんてったってロケシーン。海はどこまでも美しく、砂浜近くにビルなんて野暮なシロモノは全然ナシ、街道には電信柱なんて無粋なモノも見当たらず、自動車の轍もガードレールも影も形も無い、日本の風景がちゃーんと残っているのだ。 昔の時代劇が豊潤な香りを漂わせるのは、このように様々の理由に因るのである。 (1998年04月25日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16