小さい逃亡者 |
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■公開:1966年 ■制作:大映、ゴーリキーフィルム ■監督:衣笠貞之助 ■助監: ■脚本: ■原作: ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:稲吉千春 ■寸評:親善映画はゴージャスに。 |
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親戚のおじさん・宇野重吉に横浜で育てられたバイオリンが得意な少年・稲吉千春はモスクワの病院に入院していると聞かされていた父親になんとしても会いたいと思うようになった。来日していたボリショイサーカスの楽屋に忍び込んだ少年は人気者のピエロ役・ユーリー・ニクーリンに願いごとが叶う「マトリューシュカ人形」をもらう。 マトリューシュカにお願いしてサーカスの荷物にまぎれてソ連の輸送船に密航した少年は、ソ連武官の計らいでやさしいロシア人の退役将校とともにモスクワを目指す。途中、列車に乗り遅れた将校とはぐれた少年は、言葉が分からないものだから、駅の職員から次の列車に乗るように言われたが逃亡してしまう。途中、材木を筏で運ぶ一家や猟をしている少年らと知り合いになりながら、無事レニングラードに到着。だが病院で引き合わされた男は別人だった。 行く先々でピンチになるとマトリューシュカにお願いしてしのいでいた少年は、ついにニクーリンに再会する。サーカスを見に来ていた日本大使館員・船越栄二の尽力で少年の父親は音楽家で5年前に死亡していたことが判明する。失意の少年を引き取ったニクーリンは彼を音楽学校に入学させ父の夢を継がせることにした。 時は流れ、モスクワのオーケストラとともに来日した少年はすっかり成長・太田博之していて音信不通になった宇野を探すべく日本のテレビに出演する。幼馴染みの少女も大人・安田道代になっていたが、宇野の行方は分からなかった。その頃、テレビを見ていた孤児院の院長・京マチ子は食堂の配膳人が宇野であることに気がつき、名乗り出るように勧めるが宇野は「会わせる顔がない」と断わる。京は宇野の心中を察し「私たちには他にも助けを必要としている子供がたくさんいる」と宇野をはげますのだった。 主役の子供が天使のように可愛いかったらよかったんだけど、まるで小林桂樹のようなペーソスを漂わせたデブな子役でしかも芸達者だったので、これが成長したら太田博之ってのは納得できないけど、親善映画であるから許す。見方を変えれば、それくらい肝っ玉が座って、かつ、皮下脂肪と神経が厚(かまし)くないと極北の大陸は横断できまい。 ソ連の人々が官民あわせてみな一様に子供好きで、しかも密航した少年をそのまま生かして旅をさせるという度量の広いところを強調するのはあまりにもウソくさい。ここが親善映画の親善映画たるところ、と言うことか。すべては奇蹟の人形「マトリューシュカ」パワーのお陰なのだろうか?とりあえずそういう事にしておこう。 ソ連側のスタッフはよくわかんないのでとりあえずここでは述べないが、わが日本国からは監督の衣笠貞之助をはじめ、脚本に小国英夫、撮影に国宝・宮川一夫を供出するという力の入れようである。 そしてこの作品が衣笠貞之助監督のメジャー最後の作品でもある。引退の花道、ということかもしれないが、単なる児童映画とは思えないほどのゴージャスなロケがこの映画の最大の魅力だ。ストーリーも和み度がとても高い。言葉の行き違いの描写がわざとらしくなくて、とても微笑ましいので、観るものの心を大変に暖かくしてくれる。 だんだん小さくなるマトリューシュカの最後の一つに「小さな君が一番大きな願いを叶えるんだよ」と期待を込めたのにそれが裏切られて床にコロコロと転がる姿に少年の落胆と深い悲しみを暗示させるという、映像表現の巧みさは思わず「泣かせるねえ」って感じだ。 子供をダシに使った万事キレイキレイの映画だが、親善とはそうしたものだ。真実はどうであれまず相手を「イイ人かもしんない」と思うことから始めようという主張はとても正しい。 (1998年06月02日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16