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血を吸う薔薇


■公開:1974年

■制作:東宝

■監督:山本迪夫

■助監:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:岸田森

■寸評:


 血を吸うシリーズの最終作、皆勤賞は岸田森ではなく二見忠男なのである。この、出場の少ない割には常に恐怖の水先案内人になる二見さんはカルトドラマ「仮面の忍者・赤影」でも妖しい忍者の双子を一人でやっていたのである意味、岸田さんよかよっぽど怪しい。

 高原にある女子大に赴任してきた教師・黒沢年男は、不気味な駅員・二見忠男に学園の行き方を聞こうとするがすげなく断わられる。のっけからイヤなムードに気圧された黒沢に追いうちをかけるように、駅に出迎えに来たのはパンダメイクの同僚教師・佐々木勝彦であった。彼の話によると最近、学長の妻が自動車事故で死んだとのこと。黒沢にとってはつくづく縁起の悪い出だしであったが、こんなのは序の口に過ぎなかった。

 学長・岸田森は黒沢を次期学長にしたいと言う。寝耳に水の黒沢はとりあえず学長夫人のお墓参りをしようとするが、夫人の遺体は土地の風習で七日間、遺体を棺桶にいれて埋葬せず、誰にも見せずに供養されていた。その晩、地下室に遺体が安置してある学長の屋敷に嫌々ながら泊まった黒沢は、胸に傷のある頭の悪そうな美人の幽霊・麻里とも子(阿川泰子)と、牙が生えた学長の妻・桂木美加に襲われる夢を見た。

 翌日、学生寮で失踪したらしい生徒の部屋に入った黒沢は写真を見て驚く。夢に出てきた美人の幽霊と同一人物だったからだ。民話伝説を研究している校医・田中邦衛から地元には昔、迫害された「ころびバテレン」が吸血鬼になったという伝説があることを聞かされる。

 江戸時代、バテレンの吸血鬼に襲われた地元の娘・竹井みどりは一度死んで蘇り、同じく吸血鬼になってしまったので、村人は二人を襲って殺し頑丈な棺に埋めたのだった。しかし、不死身の二人は棺を脱出したらしい。そして女子学生寮の生徒が襲われた。貧血になった被害者には胸や首筋に牙で食い付かれたような跡があった。

 若い女の生き血を求めて彷徨っていたのは学長の岸田森と死んだはずの桂木美加だった。二人は吸血鬼に肉体をジャックされていたのだ。失踪した生徒はすでに殺されていて、正体に気づいた田中も殺され、桂木の奴隷になっていた佐々木も池に転落して死んだ。

 黒沢は生き残った生徒とともに吸血鬼夫妻と対決。乱闘の最中に2階から転落し、腐った欄干を胸に受けた岸田が死ぬと、桂木も死んでしまう。二人は数百年前の時間を一気に経たように腐食して白骨化した。

 飢えに耐えかねて人間の生き血を吸った業罰のため元キリスト教徒が吸血鬼になってしまったというのがキーだ。

 「ころびバテレン」がルーツなんだから十字架やニンニクはノープロブレム。夜の方が活動的なのは単に正体を知られたくないだけ。決定的な弱点のない吸血鬼なんてどうやって倒すんだろう?という点に客の関心は集中する。

 この映画では、吸血鬼はすでに魂だけの存在になっていて、次々と人間の肉体を「やどかり」しながら何百年も生き続けているという設定である。従って、奪った肉体が滅んでしまうとそこでゲームオーバーになることになっている。木の杭を心臓に打ち込まれるとかいうフィジカルな弱点はかろうじて残っているわけだ。そうしないと映画が終わらないからな。

 本作品は「岸田森の、岸田森による、岸田森のための」映画。あの「熱演」を超越した「狂演」を目の当たりにしたら「引く」か「感動する」かどっちかしか無いぞ、それくらい凄い。さんざっぱら黒沢年男を痛めつけたあと階段から落ちて死んじゃうんだが、その死に様がこれでもかというくらい粘りまくる。白髪になって体が腐り始めた岸田さんが、同じように腐りかかった妻ににじり寄る姿の壮絶さ。

 兄弟愛を描いた株玉のモンスター映画が「サンダ対ガイラ」なら、こっちは夫婦愛だ。しかもカブリモノ無しで等身大(実はシークレットブーツ使用)の化け物(だからこそ?)なのに客の琴線をゆさぶるのであるから、やはり岸田さんは偉大である。

 もとはと言えば迫害されたキリスト教徒の悲劇である。性欲と食欲を満たすために(たぶん)切羽詰まって竹井みどりを襲って夫婦になったんだから、気の毒な出自なのだよ岸田さんは、って同情するのもどうかと思うが。

1998年04月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16