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血を吸う人形 幽霊屋敷の恐怖


■公開:1970年

■制作:東宝

■監督:山本迪夫

■助監:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:松尾嘉代

■寸評:


 東宝の血を吸うシリーズのうち岸田森が出演していたのは第二作と第三作のみで、この第一作には出演していない。

 海外出張から帰国した青年・中村敦夫が恋人・小林夕岐子を尋ねて蓼科の山奥へ行くと、そこには気味の悪い唖の下男・高品格と、小林の母・南風洋子が二人きりで住んでいた。南風によると小林は半月ほど前に交通事故で死んでいた。ショックを受ける中村。その晩、怪しい泣き声と小林の幽霊を見た中村がその後を追うと、血まみれの腕に金色の目玉をした小林が「私を殺して」と懇願した。思わず小林を抱きしめてしまった中村、そこは小林が土葬された墓のそばだった。

 消息を絶った中村の妹・松尾嘉代は恋人・中尾彬とともに山荘を訪ねる。松尾は小林の事故死に不審を抱き地元の医者・宇佐美淳也に会う。中尾は小林が土葬されたという墓を金に汚そうな地元の百姓・二見忠男に頼んで掘り返すが、そこに入っていたのはダッチワイフみたいな人形だけ。驚いた二見は逃げる途中で小林に襲われて絶命。

 南風の一家が暮らしていた屋敷に昔、強盗が入り、南風と高品以外の家人を皆殺しにしていた。彼女は強盗の一人に犯され、生まれた子供が小林夕岐子。中村敦夫の腐りかかった死体を発見し真相を知った松尾の前に宇佐美が立ちはだかる。宇佐美はかつて南風の恋人だったが戦争で仲を引き裂かれ、そのくやしさから南風の一家を襲ったのだと告白する。小林の父は宇佐美だった。

 娘を溺愛していた南風の願いを聞き入れた宇佐美が小林を催眠術で蘇らせたが、なんと娘は吸血鬼になってしまったのだ。追い詰められた松尾と中尾の前に小林が現われた。テレポーテーションのような超人的なスピードで宇佐美に接近した小林は彼の喉を刃物で切り裂く。大流血とともに宇佐美は死ぬ。催眠術師がいなくなったので小林も死んだ。

 突然だが私は英国のハマー・プロダクションが制作したホラー映画(テレビ)が大好きだった。クリストファー・リーの大ファンになり、よせばいいのにバミューダ海域にジェット機が沈むエア・パニック映画「エアポート’77」まで観に行った程である(ホント、よせばよかった)。

 で、このプロダクションで活躍していた監督がテレンスフィッシャー。監督の山本迪夫が和製テレンスフィッシャーと呼ばれるのは、このハマー製の作品のようなゴシック調のホラー映画を得意としていたからである。

 山本監督のエライところは、キリスト教の文化が浸透していない日本で吸血鬼を映画にしようと試みた点だ。お笑い抜きであくまでもシリアスに、英国的な上品さを失わず、そして伝統的な怪談映画のエッセンスもちゃんと吸収しているとこもエライ。

 お人形さんのような小林夕岐子をして「血を吸う人形」とはドンピシャ。金色のコンタクトレンズでニッコリ微笑む(ちょっと寄り目気味なのもグーだ)コワさ。笑顔の直後は噴水のような血飛沫。しかもこの殺人鬼は気の毒なのだ。「人殺しの娘」と蔑まれた娘がやっと好きな人と添い遂げられる寸前の事故死。本人および母親の無念さ、恋人に「殺して」と頼む女心のいじらしさに観客は心から同情する。

 小林夕岐子の非人間的な美しさがあってこそこの映画は成功したようなもの。まかり間違っても松尾嘉代のように血圧とコレステロール値の高そうな女性ではイカン。ちょっと貧血気味でないとダメね、薄幸の死美人はね。

 どんな映画にも、特にホラー映画には情緒性と美学が必要。

1998年04月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16