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狂った野獣


■公開:1976年

■制作:東映

■監督:中島貞夫

■助監:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:渡瀬恒彦

■寸評:「キ○ガイ、、失礼しました頭の弱い、、」(by潮健児=TVレポーター)


 タイトルの「狂った野獣」は一見するとバスジャック犯を指しているような気がするのだが、実は違う。狂っているのは、むしろ被害者。

 銀行強盗をして逃亡途中の犯人・片桐竜二川谷拓三は、アイパーをあてたいかつい銀行員とガードマンに追い付かれ現金袋を放棄し、路線バスをジャックして逃亡をはかる。バスの乗客はチンドン屋・志賀勝(描き眉あり)、不倫カップル夫・野口貴史(おまけに婿養子)、売春婦、売れない女優、愛猫をこっそり持ち込んだ老婆、土方、頭の悪そうなガキ、そして宝石強盗に成功したばかりの元テストドライバー・渡瀬恒彦ら。おまけに運転手は心臓に持病があるという、乗っ取った犯人の気の毒な行く末が鮮明に暗示されるような壮絶な面々なのだった。

 お約束どおり警察は間抜けで、乗っ取られたバスの特定にやたらと時間がかかりまくるだけで、ちっとも事件は解決しそうにない。その頃、バスの中では川谷拓三が渡瀬と土方にフクロにされたり、子供に窓からオシッコさせてあげたり、乗客の喧嘩を仲裁したり、心筋梗塞の発作で倒れたバスの運転手を介抱したり、と獅子奮迅の大活躍をしていたのだった。

 やっと本格化したバスとパトカーのカーチェイス。白バイ警官・室田日出男はまるでJACのようにカッコよく歩道橋の上からバスの屋根にダイブしようとしたが、タイミングが狂いマトをはずして路面にたたきつけられ、死亡。そのほか、ジャンプ台なども駆使して派手に破壊されるパトカーから、救いを求めて這い出してきた血まみれの警官をほったらかしにしつつ、バトルの舞台は郊外の野っ原へ。

 盗んだ宝石をバイオリンケースに隠し持った渡瀬が腕っぷしに物を言わせて片桐と川谷を牛耳り、バスを包囲した警官隊に逃亡用のヘリコプターを要求。しかし裏切った警察によってヘリに宙吊りにされた片桐が射殺された。友情に厚い川谷が憤慨して突進し、同様に射殺される。被害者を装っていた渡瀬はバイオリンケースを抱えて現場からまんまと逃走したが、すでにケースは空っぽだった。他の乗客全員が事件のどさくさに紛れて宝石を持ち去ったのだった。

 記者会見に臨んだ乗客たちは自分たちのネコババが発覚するのを怖れ、すべての犯行は射殺された二人が行ったと口裏をあわせた。かくして真実は闇に葬り去られ、「恐怖の報酬」を得て一片の同情の必要もない乗客たちと、生まれてから死ぬまで何一ついいことがなかったと思われる気の毒な犯人たちとの暴走事件はここに幕を閉じたのだった。

 「ぴあ・シネマクラブ邦画編」に誤りがあったのでここで正しておく。本作品は「・・・追いつめられた人間たちのパニックを描くサスペンス映画」ではない、絶対にそういうことはない。なぜならこの映画は客を「はらはら」させることがテーマではないからである。

 片桐竜二と川谷拓三が手にした拳銃やダイナマイトみたいなものを「本物かも?」と心配した客など一人もいない。むしろこの貧乏クサイ二人だからこそオモチャであることにリアリティが増したとも言えるのであるから、作り手はそういうところを見て欲しかったのではないのである。

 生い立ちが不幸だったり、健康を害して職を追われたりしてヤケクソになって犯罪に走る人間たちにはある種の向上心と言うものが感じられるのであるが、そういう人種はどこかイカレている、つまり自分の将来に常に不安を抱いているわけなので、精神的にはとてもモロい。その点、向上心とは無縁の生き方をしている市井の民というのは、どんなときにも冷静である。どのように状況がパニックであってもそれに同調して瞬間的に発散することはあってもすぐに冷める。鈍感故に精神が落ち着き払っているからこそ、あのような大騒ぎの中でも宝石のネコババや痴話喧嘩などができるのである。そして赤の他人であっても目的が一つになったときの素晴しい団結力も見逃せない。

 本能が鍛えられた人間は強い。この映画の言わんとするところはこれである。このような人間こそが真に魅力的でドラマチックなのだというこの映画の主張はとてもクールだ。

 この映画は「バスパニック」というサスペンス映画の体裁をとりつつ、スリルとサスペンスがまったく感じられないという、実に爽快なお笑いアクション映画。

1998年06月16日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16