「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


顔役


■公開:1965年

■制作:東映

■監督:石井輝男

■助監:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:鶴田浩二

■寸評:


 広域暴力団組織の組長・安部徹は卑小な人物だったがその実力は関東ではナンバーワンの地位にあった。東京の埋立地の整地権を関西の大手組織の組長・宇佐美淳也が狙っているらしい。関西陣営は地主を博打に誘い借金を作らせ土地の権利書を次々にまきあげていた。

 関東陣営の幹部・天知茂は懲役を終えて出所したばかりの実力派幹部・鶴田浩二に土地の顔役・曽我廼屋明蝶の説得を命じる。やくざ嫌いの明蝶との仲介役を元兄弟分・大木実に頼んだ鶴田だったが、けんもほろろに追い返された。関東陣営の中では血の気が多く、浮いた存在の若手組長・高倉健は義兄弟の鶴田に協力しようと突っ走り、関西陣営と通じているらしい市長・内田朝雄をシメ上げて鶴田に怒られてしまう。

 整地権は関東陣営に渡ったが、鶴田と高倉の活躍に嫉妬した幹部・江原慎二郎は安部と密約を交す。酪農地として地元民に払い下げられるはずの埋立地に、江原の命令で宅地用の土砂が使われていることを知った鶴田は指を詰めて明蝶に詫びる。計画を潰された安部は激怒し江原に命じて、関西陣営の殴り込みにいきり立っていた鶴田の子分たち・曽根晴美、アイ・ジョージ、待田京介らにお礼参りをけしかけて全滅させた。

 関西から送り込まれた殺し屋・日尾孝司が安部を射殺。天知はどさくさ紛れに新組長に就任する。しかし古参の組長たちは猛反対し新組長に鶴田を推薦した。窮地に追い込まれた天知は、高倉が内田を脅迫した事実を糾弾し関西陣営との全面戦争の可能性を示唆、ビビった古参幹部に「手打ちのためには高倉の死体が必要だ」と追い打ちをかけた。

 心ならずも高倉と対決することになった鶴田には高倉を殺せるわけがないと読んだ天知は、目の上のタンコブである二人を相打ちに見せかけて殺そうと部下を引き連れて乗り込んでくる。壮絶な銃撃戦の最中、高倉が天知を射殺。

 そこへ関東と関西の幹部連中がやって来た。高倉はわざと鶴田に撃たれて死ぬ。それを見た総勢400人近い両派の幹部たちは和解し、土地の権利書は無事に明蝶ら地元住民の手に戻った。

 石井輝男監督の場合は概ね主題よりも脇方のほうが面白かったりする場合がある。見るほうとしてはどっちでも面白ければ問題ないので気にしない。

 鶴田と高倉の一枚看板の共演、社会正義と義理と人情と友情の板ばさみ、大量のエキストラ、豪華な女優陣の生殺し的共演、などなど、良く言えばとってもゴージャスな映画。だが肝心のメインストリームが重たすぎたのか、かなりかったるい映画になったと思う。鶴田浩二のナルシストぶりはさておき、ついでに鶴田に遠慮気味の高倉健の中途半端なキャラクターもあまり面白いとは思えなかったので、やはり、ここではライトな脇方の魅力に注目しよう。

 蛇のような冷酷さ、終始冷静沈着と見えた天知が鶴田に毒づかれて激高し部下が止めるのも聞かず「なんだとお!」とドラム缶の陰から立ち上がって撃ち殺されるオマヌケなシーン。このような芸当で見ている者の笑いを取れるのは天知茂をおいて他にはいない。「自分のキャラクターを自分で笑いとばせること」それが大人と言うものであるという、天知茂の身を挺したメッセージに涙せよ!

 珍しく佐久間良子、三田佳子、藤純子という東映の看板女優が勢ぞろいしている。佐久間は鶴田の女房で目が悪く、三田は高倉健の元彼女で今では新聞記者・長門裕之とつきあっているという役どころ。本作品のような男性映画ではヒロインはあくまでも無邪気で世間知らずであってほしい。三田と佐久間では分別がありすぎなので全然ダメだった。

 待田が純情な恋をしてしまうキャバレーのホステスを演った藤純子はその点、すごーく役得。藤はフルーツの盛り合わせをパクパク食べたり、待田にビックリ箱をプレゼントしたり、チンピラにナンパされてもニコニコしているような、ちょっとパー気味な、、ではなくて純粋で無邪気な女という役どころ。待田と藤のオママゴトのようなくだりが待田のメリハリの効いたマスクとミスマッチでなんとなく、ほのぼのとさせられる。

 石井監督の映画ではよく小犬が小道具として登場する。待田が捨て犬を拾って来たのを見たアイ・ジョージは「兄貴、捨て犬はヤバイぜジステンバーだったらどうすンだい?」と大真面目に忠告する。殴り込みに行く途中、待田は小犬を犬猫病院の玄関先にそっと置き去りにしてあげる。

 極めつけの一発芸的なキャラクターは「関西派遣の関東常駐です」と自己紹介する殺し屋の日尾孝司。この台詞を聞いて大笑いできるのは余程の東映マニアである。なぜなら彼は本当に「京都出身で東映東京専属」の殺陣師の先生なのだ。

 冒頭、やくざどもの関東本部として画面に登場したのは、東京の渋谷区(筆者の地元)役所。公共の建物がこのようなやくざ映画のロケに貸し出されるというのは、地方都市ならいざ知らず、かなり珍しいのではないか?区民の血税の結晶である公共の建造物をなんと心得とるのか!さすが安藤組のメッカだね!などと言ってる場合じゃないぞ!ちきしょー、ロケ見たかったなあ。

 ちなみに本作品の宣伝スチルが撮影されたのは、このシーンのロケ当日、交差点の対面にある代々木総合体育館前、後に東京コレクションの黒テントが建つところ。まだ給食の牛乳臭いジャリどもに占領される前の公園通り近辺で、総勢200人の黒背広軍団の記念撮影はさぞや壮観であったろうと想像する次第。

1998年06月30日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16