「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


怪談 乳房榎


■公開:1958年

■制作:新東宝

■監督:加戸野五郎

■助監:

■脚本:

■原作:三遊亭円朝

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:若杉嘉津子

■寸評:


 タイトルはややエロいが別に、木の幹に巨乳がついているとかそういうビジュアルは想像しないように。

 江戸時代、高名な絵師・中村彰は美しい妻・若杉嘉津子と元気な赤ん坊、それに忠義な下男・林寛や女中・長谷川恵子に囲まれて、幸せに暮らしていた。若杉の美貌に目を付けたのが質のよくない浪人・松本朝夫。彼は中村に弟子入りを志願し、家に住み着いてしまう。

 人を疑うことを知らない中村はちょうど、神社に奉納する双龍の襖絵を描くために出張せねばならなかったので、松本に留守を頼んで出かけてしまう。松本はさっそく若杉を犯し、それを咎めた女中を殺して土間に埋める。さらに松本は下男を脅して、中村を誘い出して襲い沼に突き落とす。絵の完成を目前にしていた中村は「無念じゃ!」と叫び死んでしまう。夫の突然の死のショックで若杉は体調を崩し、乳の出が悪くなってしまう。松本は下男に赤ん坊を沼に捨ててくるように命じた。

 下男が神社にさしかかったとき、女中の幽霊が現われ、赤ん坊を「乳房榎」に導いて乳を飲ませてくれる。松本は証拠隠滅のために下男を殺すが、中村と女中の幽霊に襲われ、命からがら若杉のもとへ帰る。若杉を連れて逃げようとする松本を追い詰める3つの火の玉。若杉は幽霊たちの助力を得て、乳房榎の根元で松本と刺し違える。目の無かった双龍の絵に黄金の両目が現われ、中村の成仏を確認した若杉は心やさしい住職に赤ん坊を預けて絶命した。

 「乳房榎」というのは「神社の霊木が乳を出す(乳房になる)」という意味であって、決して「乳房が榎になる」という意味ではない。ここんところを間違えるとお笑いになってしまうので、くれぐれも間違えないようにしよう。

 よくできてるんだよなあ、人魂(火の玉)。玄関をくぐって追いかけてくるところなんか生々しくて、吊り糸も見えないし動きも絶妙だ。所どころに光学合成をおり混ぜているのもイイ。吊り糸を探したがる観客を「あれ?」っと思わせるのである。こういうシンプルなテクニックを丁寧に見せるというは、怪談映画においては特に大切なことである。

 この映画では顔に似合わぬ壮絶演技をした中村彰に注目しよう。

 学士というのは本来、官大(帝国大学)出身者のことを指すのであって、どこの大学を出ててもイイというわけじゃない。本作品のノーブルな絵師を演じた中村彰は学士俳優第一号という看板を背負って映画界入りした。彼は期待どおりのインテリジェンスを漂わせた優男だったが、やはりそういう人種というのは往々にして水商売では成功しないものだ。

 こういうインテリタイプが結構、執念深くてネチネチしてるんだよなあ、という一般大衆の先入観を生かしたキャスティングが本作品の高名な絵師という役どころである(うそ)。額をざっくり割られた物凄い形相で沼に浮かび、その体の回りを蛇(本物!)が泳ぎ回るという稲川淳二のような体当り演技、こりゃほとんどイジメだ。これこそ、観客の学歴コンプレックスを満足させるためのサブリミナル攻撃と言えよう。

 あきらかに使い回し(「怪談 鏡ヶ淵」「怪談 累ヶ淵」「怪談 本所七不思議」など)のセットも、老舗の遊園地の「おばけ屋敷」みたい風情があって良い。怖がりたくなる観客の期待を裏切らない。

1998年05月17日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16