「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


暗殺


■公開:1964年

■制作:松竹

■監督:篠田正浩

■助監:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:丹波哲郎

■寸評:


 幕末、平民出身の俊才、清河八郎・丹波哲郎は老中・岡田英次の命令により、公武合体政策により乱れた京都の治安を回復するために浪士隊を結成するように命じられる。清河は坂本竜馬・佐田啓二とともに攘夷論者の急先鋒として幕府から睨まれていたが、ささいな事から町人を斬って江戸を出奔していたのだった。清河は免罪の代わりに幕府の手先となることを承諾した。学門に優れた清河の存在は攘夷派に絶大な人気があったが、それが幕府側につけば一気に攘夷派を駆逐できると読んだ老中は、万が一の裏切りに備え、刺客・木村功を差し向けた。

 清河と道場で対決した木村は手もなく打たれた。武家のプライドを潰された木村はその日から清河の人となりを徹底的に研究し始めた。 同心・清水元は獄死した清河の愛妾・岩下志麻の日記を木村に渡す。

 清河は門弟とともに歩いていたところ路地で擦れ違った目あかしの首を一刀両断のもとにはねた。生まれて初めて人を斬った清河は動転し、怒った町人たちの石つぶてに追われて江戸を出奔したのだった。残された側人・早川保と岩下は拷問にかけられたが最期まで清河の行方を言わなかった。清河が自分と同様、実戦の経験がないことを知ると木村は俄然自信がわき、一日も早く清河を斬ってみたいと思うようになる。

 門弟たちは清河の翻意を怒り闇討ちにしようとする。ただ一人、清河の熱烈信者の若侍・竹脇無我だけは仲間を止めようとしたが、清河は真っ先に彼を斬ったので、幕府の清河に対する信用は一層増した。江戸中の浪人を駆り集めて街道を行列する清河。列外ではあったが、彼は堂々たるリーダーシップを発揮し、烏合の衆である一行は無事、京都に到着した。

 冷酷な変節漢に見えた清河はひそかに京都の攘夷派を集合させておき、浪士たちを留め置く間に勅命を得てくるように命じた。寺の本堂に浪士たちを集合させた清河は、本日ただいまより浪士隊は朝廷を奉じた攘夷を実現するために活動するのだと宣言、老中の目付け役・須賀不二夫らを慌てさせた。元々、佐幕だろうが勤皇だろうがどっちでも良かった浪人たちは、とりあえず金をくれるらしい清河に同意する。

 勅命を頂いたものの、清河は毎日、酒と女に興じていた。その頃、江戸ではひそかに浪士隊の偽物が悪事を働き、老中の差し金で清河の評判を失墜させる計画が着々と進んでいた。薩摩の攘夷派が寺田屋で襲撃されて間もなく、幕府を離れ浪人となってまで清河を付け狙っていた木村の手によって清河は暗殺された。

 原作のタイトル通り「奇妙なり八郎」と言わしめるほど実在の清河八郎の行動はとても不可解であった。本作品はその回答として丹波哲郎を選択した、と言っても決して過言ではないと思う。

 いくら学門に秀でていても家柄がなければ仕官の口もない。泰平の世が続き武士も幕府もその権威が失墜しつつあった時代である。彼は武士に負けまいと努力してきた己の人生が時代から取り残されて行くことにただ耐えられなかっただけなのであろうか?

 その答えが丹波哲郎そのもの、なのである。個人的な権力欲に攘夷派を利用しようとした島津家をはじめ、清河八郎には本気で攘夷を実現する気骨など日本にはすでに存在しないことがよく分かっていた。清河が浪士をひきつれて大名行列を蹴散らすシーン。彼にとって人生最大のギャンブルはあそこで完結していたのである。後はただ、時代が自分を抹殺するか、それとも生かしておくか、それすらどうでも良かったのだ。反骨の人、それが清河八郎である。

 演ずる丹波哲郎のおおらかなヴァイタリティはとても魅力的であるが、どこか爬虫類的な外見のヌメリ気はともすれば冷淡な印象を与えることもある。得体のしれない存在感、いかがわしさと人なつっこさが同居した好漢、「先生」と呼ばれるにふさわしい風采、そして有無を言わせぬインテリジェンス。

 この作品にとって丹波哲郎という役者は天恵であり、また、丹波哲郎にとってもこの作品への出演は天啓であったと言える。丹波なくして「暗殺」なし、役者と役どころの完璧な出会いがこの作品の最大の見所なのである。

1998年06月23日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16