ならず者 |
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■公開:1964年 ■制作:東映 ■監督:石井輝男 ■助監: ■脚本: ■原作: ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:高倉健 ■寸評: |
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映画に性別があるのなら、この映画は徹頭徹尾、男の映画だ。 香港に渡った日本人の殺し屋・高倉健が車中でターゲットを撃ち殺してホテルに戻るとそこには女の死体が転がっていた。香港マフィアの大物ボス・丹波哲郎の情婦・三原葉子は愛人・鹿内タカシと組んで麻薬の横流しを計画していた。大量の麻薬がひょんなことから健さんの手に渡ってしまう。健さんは麻薬を返す代償に丹波に会わせろと三原に迫る。健さんから麻薬とは知らずに荷物を預かっていた木賃宿の下働きの少女を、三原と鹿内がはずみで殺した。 宿には胸を病んだ売春婦・南田洋子がいた。彼女は人身売買をしている悪ボス・安部徹の組織の情報を漏らしたのでマカオに売り飛ばされる。健さんは殺人を依頼してきた安部の組織の秘密を探るために横浜へ。そこでキャバレーの支配人・高城丈二から安部は香港に行って丹波と取り引きをするらしいと告げられる。香港に戻った健さんは少女を見殺しにした宿のマダム・赤木春恵を撲殺してしまう。 お尋ね者になった健さんはマカオで南田に出会う。そこへ麻薬Gメン・杉浦直樹が現われる。杉浦の目の前で南田の喉につまった血を吸い出してやった健さんは、杉浦から警察の情報を聞き出しギャンブラー・江原真二郎に会って丹波の居所を聞き出す。健さんは丹波と対決するが、少女殺しと麻薬の取り引きは丹波の知らない事だった。三原と鹿内の潜伏先に現われた丹波は命乞いをする二人を射殺した。警官の包囲網がジワジワと迫る。健さんは丹波の捨て身の特攻で無事に安部の泊まっているホテルにたどり着く。 安部の子分・日尾孝司と乱闘の最中、腹を刺された健さんはそれでも安部を倒し、瀕死のところを杉浦に助けられる。健さんと日本へ帰る約束をしていた南田が波止場で待っている横を、死に行く健さんを乗せたパトカーが無情に通りすぎた。 高倉健という人は不思議な人である。ここまで野暮ったいスタアって他にいる?ってくらいオシャレじゃない。日本映画の男優はおしなべて野暮と対局にある粋が身上、そこへポーンと出てきた健さんの垢抜けなさ、ヌボーっとした朴訥さはさぞや新鮮だったんだろうな。しかしあくまでも健さんは虚構の世界で成り立つスタアだった。実録路線に全然合わなかったのは、体からにじみ出る品がジャマをしたのだろう。スタイリッシュな世界で全く様式美を持たなかったスタア、それが高倉健。 かように、日本の男優の魅力は二つある。一つは「スタイリッシュであること」と「スタイリッシュではないこと」である。新東宝の「黄線地帯」が前者とすれば「ならず者」は後者である。しかし実際は真に「非スタイリッシュ」であったのは健さんのみで、脇の男どもは一人残らず前者。 たとえば、たったワンシーンしか出てこない高城丈二と江原真二郎。どうでもいいような役なのに、なんの必然性もなくどうしてこんなカッコイイんだ?!と、見るほうとしては予想外のオマケに感動してしまうんですな。キャバレーの坊や・今井健二なんかほとんど通行人扱いであるがどういうわけか印象に残ってしまう。 そして出た!丹波先生、である。海外ロケにきっちりハマって絵になりつつも、ぶっきらぼうというか、愛想なしというか。高倉健が熨斗なら、丹波哲郎は水引である。水引は決して熨斗の上には来ないが、コレがないと熨斗は立たない。また、中味が多少ショボくてもとりあえず水引があればグレードが上がったような気分になる、そういう存在。 「俺は紳士じゃねえからな、嘘はつけねえんだよ」と言う台詞、健さん以外は禁句である。ラストの擦れ違い的別離は「望郷」のジャン・ギャバンか。本作品は和製のフィルムノワール(暗黒街映画)の白眉と思うが、よく考えるとこういうオシャレな映画に健さんは実はミスキャストなんじゃないだろうか、さていかがなものか。 (1998年06月16日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16