さらばモスクワ愚連隊 |
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■公開:1968年 ■制作:東宝 ■監督:堀川弘通 ■助監: ■脚本: ■原作:五木寛之 ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:加山雄三 ■寸評: |
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往年の若大将シリーズを摘要するならば「モスクワの若大将」というところか。しかし、リゾート地以外の若大将って想像がつかんな。 一流のジャズピアニストだった主人公・加山雄三は今は外タレの呼び屋。アメリカから大枚はたいて呼んだジャズマンがクスリで挙げられて興行は失敗しかかったかに見えたが、商魂たくましいライバルの興行主・神山繁との取り引きで一応急場をしのぐ。そこへ日ソ文化交流協会の理事をしている友人から「ソ連にジャズバンドを送る」というプロジェクトの話が舞い込む。加山は現地の大使館と準備を進めるためにソ連へ飛んだ。 ソ連政府の高官に「ジャズは娯楽、芸術ではない」と言われてカチンときた加山はピアノで一曲演奏し音楽に造詣の深い高官を感銘させる。日本大使館のエリート高官・伊藤孝雄は受験勉強の合間に聞いた加山のバンドの音楽に魅了されたファンの一人だった。赤の広場で少年、ミーシャと出会った加山は彼の案内でバーに行く。社会主義の抑圧された環境に力一杯抵抗するミーシャのトランペットに自分の若い頃を重ね合せた加山は、観光客のアメリカ人と伊藤とともに即興のジャズバンドを編成するのだった。 ところが支援を約束していた日本側の議員の死によって計画は中止になり加山は帰国することになる。金持ちの娘にプロポーズできないミーシャをはげました加山であったが、ミーシャのファイトは彼女にちょっかいを出した闇屋のおやじに向けられてしまった。ミーシャは傷害事件を起こして逮捕された。すべてに挫折した加山はミーシャにプレゼントするはずだった楽譜が風に舞う中、一人涙を流すのだった。 なにか一つでも楽器のできる人は幸せだ、実に羨ましい。この映画を観ているとつくづくそう思う。加山雄三はピアノを一応弾けるので、1フレーズすら吹き替えに頼った「砂の器」の加藤剛のような歯がゆさが無いぶん、映画の厚みがぐんと増す。 芸は身を助く、である。 黒沢年男は加山の後輩のサックス奏者を演じる。ウエットな加山と違って万事ドライで現代的な考え方と行動をとる役どころなのだが、黒沢年男に「近代性」を求めるのはかなり酷な話ではないか?いかなる風俗映画で活躍しようとも線の太い(いや、太すぎる)彼にはアナクロこそが似合いまくるのだ。年齢の割にはすでにアルコールで何度も潰したような年期の入ったハスキーな低音は、このようなライトな役にはとうていハマるはずがなかった。 この映画の最大のミスキャストは黒沢年男の「今どきの若者」役であったと考える。 これに対して挫折したジャズマンというキャラクターは加山雄三にハマリまくりだ。どうも当時の日本のジャズマンって「イイトコ」のおぼっちゃんが多いような気がするんだよね。だからそういうバックボーンも含めて品の良い加山にぴったりなわけ。 この作品はデキとしては凡庸なものであったかもしれないが、当時、全然身近ではなかった外国の町角(そのほとんどはセットであったにせよ)でただ黙って立っているだけで雰囲気を醸し出してサマになる日本人の役者が他にいたか?今だってそうはいやしないと思うぞ。 ベトナムに派兵されるアメリカ人青年を除いて、出てくる外人が全員もれなくイモ、ダイコンであるのがトホホだし、伊藤孝雄のインテリ高官もステレオタイプだし、野際陽子が加山雄三に丘惚れするってのも鼻の奥が痒くなるようなシロモノだし、やはり全体的にはどうってことない映画だけれど加山さんのアンニュイな魅力が輝いていたので、とりあえず満足。 (1998年06月02日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16