日本侠客伝 斬り込み |
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■公開:1967年 |
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子持ちで凶状持ちの渡世人・高倉健。旅の途中で彼の息子が病気になってしまった。入院費を稼ぐため土地のやくざの親分を探したが、その地域にはテキ屋の帳元・石山建二郎しかいない。稼業違いを承知で「命」を買ってもらおうとする健さん。しかし親分はとてもできた人物だったので息子の入院費は立て替えてくれるわ、テキ屋の修行をさせてくれるわ、で健さん、大ラッキー。 東京の新宿で一旗上げようと、単身上京してきた健さんの後を「息子がかわいそうだから」という理由で追ってきたのは、海坊主のような石山親分の実子(石山律雄、現・律だというのも意外すぎるが)とはとうてい信じられない一人娘・藤純子。テキ屋の作法を気のいいベテラン・金子信雄に教えてもらって、露店商仲間にも頼りにされつつあった健さんの前に、ショバ代をかすめ取る乱暴な連中が現われた。新宿の庭場を牛耳ろうとする悪玉テキ屋の親分・渡辺文雄とその手下・天津敏だ。あわや大喧嘩となるところを、仲介したのは待ってましたのかけ声がかかりそうな、義侠心ムンムンの善玉親分・大木実。 きょうかく(侠客)とは「強い者をこらしめ、弱い者を助けることを主義とした人。男だて。遊侠。」である。なんだ健さん(の十八番の役どころ)の事か?と瞬時に理解したあなたは大正解である。この映画は健さんの「侠気」が如何に納得できる段階を経て、かつ、巧妙に沸騰点に達するかが見所だ。 ちょっとオッチョコチョイの善玉、金子信雄あたりがこてんぱんにやられて、大木実が健さんを助けるために指を詰めて、藤純子が金を工面するために身を売って、おおっと、そろそろ上がってきたな健さんのテンション!もう一声!などとと思っていると、案の定、渡辺の子分が大木を狙撃して重傷を負わせる。なあんだ死なないのか、なんて不謹慎なことを言っちゃいかんぞ。こういう観客のスムーズな誘導ってのが演出の冴えというものか。 健さんは藤純子と結婚するときに「男には一人でやらねばならぬことがあるんだ」と石山から送られた日本刀の封印を切って、単身、渡辺の本拠地に乗り込むのである。後は体育会系の健さんの「振り回し」剣法が炸裂し親分がやられると子分共は蜘蛛の子散らすように逃げ出す。戸板に乗るのは死体だけではありません、重傷の身を圧して駆けつけた大木実のはからいで、一家そろって無事に藤の郷里へ帰った健さんなのでありました。 片玉サングラスのめっかちで、おまけにチック症気味の役作りとなっては、これはもう寸止めである。そう、本作品の手強い悪玉やくざの天津敏の役作りがソレであった。顔のオッカナイ人が「お笑い」を演るというのはかなり反則行為であるが、別にお笑いの役どころではないんだけれども、こんだけ「好き放題」暴れさせているところから推察するに、マキノ監督は天津敏がかなりお気に入りであったようだ。 暴力的なエピソードがてんこ盛りなのに血生臭さくないのは、結局、我慢に我慢を重ねてたたっ斬るのが、上位の悪玉に限られているからではないか。観客の大いなる賛同を得られた場合のみ殺生をするというのは、殺伐とした雰囲気を生じさせない重要なポイントである。やたらと殺しまくって「弔合戦」になってしまっては「お互い様じゃん」になってしまいカタルシルのピントがぼける。娯楽映画はこれじゃダメだ。 善玉悪玉とりまぜて出演者それぞれにきっちりと見せ場を持たせて、なおかつ全体がゆるぎないというのは、やはり職人的な監督の力量と言うものであろうか。もちろん、本職の落語家と比較しても遜色のない金子信雄の話芸の数々とか、藤純子の年季の入った泣き虫芝居とか、出演者のポテンシャルが大きく貢献しているのは言わずもがな、であるが。やはり映画は興行である。金を取れる映画というのは「客を楽しませてナンボ」なのだという真実がこの映画にはある。 世間からは多少、うさんくさい目で見られているが、まっとうな職業である人々を暴力で踏みにじる輩は事の大小を問わず許されない。職業が「やくざ」であることと、性根が「やくざ」であることは違うのだ。その主張はとてもクールだ。 (1998年03月17日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16