二人の恋人 |
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■公開:1969年 |
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内藤洋子と言えば「兄貴の恋人」いつまでもどこまでもお兄ちゃんのことが心配な妹は写真になって登場だ!ちょっと怖いけど。 美しい義母・高峰三枝子に育てられた青年・加山雄三は数年前に恋人・酒井和歌子を病気で失った。 加山には高峰の実子である弟・高橋長英がいる。高峰は愛情の分け隔てがあってはいけないと品行方正な兄を特に愛し弟には厳しかったため、高橋は度々家出して親友・東山敬司が姉・池内淳子と一緒に住んでいるアパートに入り浸たっていた。ある日、日比谷の映画館の券売所で、兄貴の死んだ恋人にソックリな少女・酒井和歌子(二役)を発見した高橋は愕然とする。 高橋はやさしい兄がいつまでも彼女を忘れられずにいて辛そうな姿を見かねていたので、少女を加山に譲ろうとする。加山も死んだ恋人にウリふたつの少女を一目見て大好きになるが、酒井が愛していたのは高橋だった。傷心の加山は馴染みの料理屋の娘・稲野和子と一夜を共にし、生まれて初めて無断外泊をする。高橋は加山への申し訳ない気持ちと、酒井の本心を確かめるために数日家出をした後、実家に戻る。今度は加山が池内の元へ家出するのだった。 「二人の恋人」とは酒井和歌子が二役を演じた「二人」であり、高橋と加山「二人」の「恋人」という両方の意味だ。いくら外見がそっくりだからと言っても人格は別である。少々、残酷な結末なのだが、この映画には大人の「優しさ」がそこかしこに溢れているので、見終わったあとはとても気分が良い。この作品で映画デビューを果たした高橋長英の「時代を感じさせる若者像」はちょっと引いてしまうが、酒井和歌子の二役は描き方が丁寧で生き生きとしていて実に素敵だ。 大言壮語の大時代的な芝居をさせると加山雄三はトホホのホ。したがって他の追随をまったく許さない無敵の「大らかさ」でスターの地位に着いたのであるが、こういう「身近にある深刻な問題」を演じさせるとこれがまた、とても魅力的なんだなあと再認識。観客が感情移入しやすくて、それでいて所帯臭さが無くて、ヨーロッパ的な二枚目だし、育ちがよさそうだし、憧れちゃうっていうキャラクターはやはり素地の良さだろうか。そういうヒーローが悩む姿こそが母性本能をスパークさせるわけだね。男嫌い風の池内淳子(ってのはいかがなものか)の胸をも大いにトキメかせてしまうのである、納得、納得。 出番は少ないが、稲野和子ってコワイ。別に「お岩さん」演ったからじゃないだろうけど、魔女っ気たっぷりに加山を誘惑するのだ。色気ではなく妖気だね、ほとんど。東宝(自社制作)であるから濃厚なセックスシーンとかは御法度。苦肉の策の挙句がこのような「情念の濃い」演出に結実したのであろう。東宝の青春映画で大人のセックスを描くのってこれが限界だったんだろうなあと同情してしまいました。 社員監督としては社風に縛られた部分も多分にあったのかもしれない。しかし、森谷監督の青春映画には、高橋長英や、加山雄三のプロトタイプみたいな東山敬司など、戦略的でない原石俳優の起用によって従来の青春映画では得られなかったような、観客が映画の出来事について「我が事」のように共感できる楽しさがあると思う。 森谷監督が育ての親の黒澤明監督の直系で大作男性映画の巨匠であるという先入観を持っている人(申し訳ない、私だ)はこのさい、ソレを捨ててしまいましょう。産みの親である成瀬巳喜男監督の血筋なのかもしれないけれど、「日本沈没」や「八甲田山」だけでなく、森谷監督の作品には、岡田ジュニアの「赤頭巾ちゃん気をつけて」とか高橋長英の「初めての旅」とか加賀まり子の「初めての愛」とか当時の若者の「愛と悩み」を疑似体験(今となっては)できる青春映画がたくさんある。 森谷監督が作ったのはナンセンスにもバイオレンスにもエロにもグロにも走らなかった、等身大の青春映画なのだから。 それを「大したことない」と言う人がいるなら言わせときゃいいのさ、私は好きだよ。 (1998年03月17日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16