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二十世紀少年読本


■公開:1989年
■制作:CBSソニー
■監督:林海象
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:三上博史
■寸評:フェリーニ風味のノスタルジー。


 昭和初期、サーカス団に売られた幼い兄弟は、やさしい団長・大泉滉に見込まれて稽古に励む。ある日、綱渡りの練習をしていた弟を助けるために飛び出した兄は足を負傷してしまう。年月が過ぎ、弟と、売られてきた混血姉妹の姉・秋吉満ちるは空中ブランコ乗りとしてサーカスの花形になっている。怪我のためにピエロになった兄・三上博史は月夜の晩に一人でサーカスを出て行った。

 大道香具師になった三上はインチキな商品を売りつけて、香具師の親方・原田芳雄にヤキを入れられる。音を上げなかった度胸を見込まれた三上は、回状を貰い兄貴分・佐野史郎とともに、まともな香具師として各地を巡る。

 サーカスは団長の死以降、団員が次々に離れていった。サーカスを任された弟は、去って行く団員に、兄に会ったら「この世でどこにも行くところがなくなったらサーカスに戻ってきてくれ」と託けを頼む。起死回生を願って弟が計画した自転車の曲乗りは、年老いて盲になりかかったサーカスの象が興奮して暴れたため台無しになる。

 三上は土地の親分・桂三枝の家に招かれる。そこには女癖の悪い亭主の「おもちゃ」としてあてがわれた少女・佳村萌がいた。おかみさん・鰐淵晴子は「大人の女は子供ができると面倒だから、子供を買ってきたのだ」と言う。三上と佳村は同じ境遇の者だけに通じる何かをお互いに感じていた。佳村は親分の家を飛び出し三上と結ばれる。追ってきた親分に重傷を負わせた二人は心中しようと山に逃げる。

 心ならずも三上の処分を任された佐野。逃げる途中で、サーカスにいたピエロたちに出会った三上は弟からの伝言を聞く。雨の中で追い詰められた二人の背後から佐野の拳銃が火を吹いた。

 雨が晴れた。二人は誰もいない砂浜に来ていた。「何か聞こえる」という佳村の声に耳を澄ますとそれはサーカスの「ジンタ」だった。二人は手を取り合ってまばゆい光に照らされたテントに向かって歩いて行った。「この世に居場所がなくなった」三上はやっとサーカスに帰ってきたのだった。

 大仕掛けの装置を作る金がない弟と一緒に材木泥棒をやらされる、本作品のインド象は作り物だが、目が悪くなっても無理やり舞台に引っぱり出されて、オモチャを本物のねずみと間違えて興奮して暴れ出す。そして警官の銃撃にあって死んでしまう。古代の恐竜が現代の町に出てきて大暴れするアメリカ映画「恐竜グワンジ」でもダイナメーション(人形アニメーション)の象が象使いの女性をティラノザウルスから守るために奮戦して死んでしまうシーンは感涙モノだった。どうも映画に登場する象さんの末路は悲劇的な場合が多い。怪獣然りで、人間に接近しすぎた「体の大きな畜生」というのは気の毒なケースが多い。

 この映画はラストシーンの美しさに尽きる。

 サーカスの映画だと私はすぐに「道」を連想してしまうのであるが、あのラストでアンソニークインが途中で捨てたジュリエッタマシーナの生死が気になって訪ねてみるとすでに彼女は死んでいて、デリカシーのかけらもなかったクインが砂浜で大泣きする、というシーンがあった。この映画では、たぶんすでにこの世にいなくなっている二人が行き着いたのが砂浜だった。監督は逃げきれない二人をウソでもいいから「逃がしたかった」のではないか。

 観客の願いと、作り手の思いが一致した瞬間であった。

1998年02月26日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16