「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


動乱


■公開:1980年
■制作:東映
■監督:森谷司郎
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:高倉健
■寸評:「監督は『もう1本映画を作ろうね』って、、ウソをおっしゃったんですね」(森谷司郎監督の告別式における小百合ちゃんの弔辞)


 日中戦争前夜、初年兵・永島敏行が兵舎を脱走する。わずかな借金のために売られていく姉・吉永小百合が心配でたまらなかったのだ。大尉・高倉健はなるべく穏便に済ませるよう配慮するが、故郷で逮捕された永島は自決を迫る下士官・小林稔侍と揉み合ううちに小林を射殺してしまう。健さんの助命嘆願も受け入れられぬまま、永島は銃殺された。健さんは横浜の老舗旅館の一人息子だったので、父・志村喬に金を用立てて貰い、香典がわりに小百合ちゃんに金を渡す。

 軍の上層部に批判的だったため、朝鮮半島に赴任させられた健さん。そこでは中央の目が届かないのを良いことに、士官達は武器や物資の横流しを行い、リベートを取ったり女を斡旋して貰っていた。健さんはそこで女郎になった小百合ちゃんと再会する。「こうなった方が楽だった」と捨鉢な事を言う小百合ちゃん。いたたまれなくなった健さんが出て行った後、別の士官に襲われそうになった小百合ちゃんは自殺を図る。

 上官の不正を中央に告発した健さんだったが、簡単に揉み消されてしまい、武器弾薬や食料にも事欠く最前線に飛ばされてしまう。健さんは寒さと戦闘で次々と部下を失う。

 内地へ小百合ちゃんを連れて戻った健さん。五一五事件をきっかけに、行動派と呼ばれる将校達は、「十五円の借金のために売られる娘がいるのに、一晩で五十円の飯を食べている人間がいる」ことに不条理を感じ、不忠の政治家や軍人のせん滅を目論んでいた。健さんは彼等の先頭に立ち「昭和維新」の実現を目指す。その頃、憲兵隊の将校・米倉斉加年は決起をやめさせようと上官・戸浦六宏に意見をするが「決起させて一網打尽にせよ」という命令を受けて愕然とする。

 実家が貧乏だったため心の底では健さんに同調したい米倉が、戸浦に毒殺されそうになった健さんを救う。そして運命の2月25日未明、決起部隊のトラックの前に身を踊らせた米倉を断腸の思いで斬り捨てる健さん。事件は軍の上層部の思惑通り、健さんたちに反乱軍の汚名を着せ、直接指揮をした健さん以下、下士官の中田博久にしきのあきら新田昌玄らを、弁護人抜きで非公開の暗黒裁判で銃殺にした。

 個人のささやかな幸せを否定した、独裁的な全体主義(ファッショ)が健さんたちを葬り去った。かくて、日本は軍部の独走を許し、第二時世界大戦へ突入して行くのであった。

 ハレモノにさわるように小百合ちゃんに接していた健さんが、覚悟を決めた夜、何も告げずに小百合ちゃんを抱く。反乱が鎮圧され逮捕されて、処刑を待つ身の健さんの着物を縫い上げた小百合ちゃんが、接見の時に「着てみてください」と言う。袖を通した健さんの仕付け糸を外しながら感極まって小百合ちゃんは声を殺して泣く。これを見ていた見張りの当番兵・川津裕介が思わずもらい泣きしてしまう。

 布団の中でのカラミより、この「着物をあてている二人」のほうが艶かしくて切なくて印象的だった。こういう「濡れ場」もあるんだね。にしきのあきらの新妻・桜田淳子が「どうやって生きていけばいいんですかあ〜」と泣くところでは、とことんシラケたが、小百合ちゃんと健さんのこのシーンは泣けた。涙は堪えきれなくなって「流れ出す」から感動するのである、無理やり「泣こう」としちゃイカンのよ。

 後年、森谷監督の告別式で多くの参列者が「もっと映画を撮って欲しかった」「惜しい人を亡くした」というような代表選手的弔辞を述べる中で、小百合ちゃんは冒頭のような言葉を送った。小百合ちゃんの魅力はコレなのだ。自分のアタマで感じたままに語り、演じる素直さ。技術が無いのではない、損得勘定が無いのである。この良い意味での「自己中心的」な人柄が彼女の価値であり強さである。

 この映画では自分を犠牲にしてまで他人に気を遣う高倉健と、自分に正直すぎる吉永小百合が好対称でありながらお互いに無理のない、自然な情愛の機微が表現されていてとても新鮮だった。

1998年03月04日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16