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丹下左膳


■公開:1958年
■制作:東映
■監督:松田定次
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:大友柳太朗
■寸評:大友左膳のデビュー作。


 貧乏だからしみったれなのか、根がけちんぼうだからいつまでたっても金に苦労するのか、それとも両方なのか。不惑で独身、ドケチで名高い伊賀の柳生家の藩主・三島雅夫のところへこともあろうに日光東照宮の修築という大事業のお鉢が回ってきて大慌て。

 ところがこれには裏があった。将軍様・東千代之介の知恵袋の愚楽老人・薄田研二が、諸国を放浪していた元武士・大河内伝次郎から「伊賀の柳生家に伝わる壷に百満両の財宝のありかが隠してあるらしい」という情報を得ていた。地方大名が、ましてや普段から大金を持ちつけない人間そのようなタナボタを手に入れるとロクな事は無い、従ってこれは幕府が合法的に巻上げようというのが老人の知恵であった。

 どうせなら派手な公共事業を担当させて貧乏領主に華を持たせてやろうという、心ある計りごとで、大河内の盟友であり情報の提供者である大岡越前・月形龍之介も協力する。そうとは知らない、三島雅夫は暴れん坊とうわさの弟・大川橋蔵を江戸の剣術道場の一人娘・美空ひばりと結婚させようとしていた。三島は、煤ぼけた「こけ猿の壷」を結納がわりに橋蔵に持たせる。

 道場乗っ取りを企む師範代・山形勲が道場主の奥方と組んでこの縁談をぶちこわしにかかる。婚礼引き延ばしのために「こけ猿の壷」を巾着切り・多々良純に盗ませた山形は、壷の秘密を知り、今度は橋蔵暗殺を企てる。壷は二転三転して隻眼隻腕の、巷ではバケモノと恐れられる無頼漢、丹下左膳・大友柳太朗の手に渡っていた。左膳は橋蔵と友達になり、欲に目が眩んだ山形に誘拐された、捨て子・ちょび安・松島トモ子とひばりを救出するために、大活躍するのであった。

 ワイドスクリーンを目一杯使った演出が素晴しい。橋蔵救出のために雲霞のごとく走る御用堤灯、侍の集団。最初に引きで全体を収め、途中に馬上の月形龍之介の緊迫した表情や、忠義の武士・沢村宗之助の血走ったアップを挿入する。屋敷の立ち回りは、走り回る左膳をドリー(レールの上にカメラを乗せて撮影する)で追っかけて、別キャメラで撮った、敵に取り囲まれてとても嬉しそうな左膳のアップをメリハリを効かせて挟む。スピーディーでありながら、ちゃんと説明してくれるテンポの良さ。大型チャンバラ映画はこうでなくっちゃ!

 大友柳太朗は大先輩の左膳・大河内伝次郎を尊重しつつ、この人らしいユーモラスな豪快さ、早い話が「キレた」左膳を最初からきっちり完成してしまった。東映スコープ(ワイドスクリーン)と言えば大友柳太朗である。ハリウッドにおける70ミリ映画の大スターと言えばチャールトンヘストンであるが、ここ日本ではやはり大友柳太朗をおいて他にはあるまい。

 スタア映画らしいエピソードを一つ。天才子役、松島トモ子と美空ひばりのツーショットをスチールカメラマンが要望した。ところが、ひばりはさっぱり控室から出てこない。しびれを切らしたカメラマンが今度は橋蔵とひばりのツーショットを撮りたいと言った途端に、美空ひばりは控室から、満面の笑みをたたえて飛び出してきたそうだ。松島と二人きりのシーンではアフレコでもテイクでも、ひばりが気に入らなければ何度でもやり直し。後年、さぞ腹が立っただろうと聞かれた松島トモ子は平然と「そういうのが当り前だったんです」と答えていた。スクリーンの上では仲睦まじく見えた(だからこそ天才?)二人の「天才子役」。当時の美空ひばりの「商品力」のスゴさが伺い知れる話である。

1998年03月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16