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人情紙風船


■公開:1937年
■制作:P.C.L.(東宝)
■監督:山中貞雄
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:河原崎長十郎
■寸評:


 貧乏長屋で浪人が首をくくった。亡父のおかげで出世した藩の重役に仕官を頼めと妻にせかされ、尾羽打ち枯らした又十郎・河原崎長十郎は父の手紙を持って重役の江戸屋敷に日参するが、相手にされない。本当のことを言えない又十郎は妻に「手紙を渡してきた」と嘘を言う。隣に住んでいる髪結い新三・中村翫右衛門はモグリで盆を開きやくざの親分に半殺しの目に遭うところを、又十郎に匿ってもらう。

 大金持ちの質屋の娘がさる大名に嫁ぐことになった。これは質屋と件の重役が、利権と出世のために画策しているのであった。又十郎がやくざものに痛めつけられている現場に通りかかった新三は、やくざと質屋がグルなのを知る。商売道具を質入れしようとして邪険にされた新三は、縁日の夜、質屋の娘を誘拐する。質屋とやくざの親分にまとめて吠え面をかかせるのが目的だった。やくざの親分に「頭を丸めろ」と強請りをかけた新三から事の次第を明かされていた又十郎は、自分を疎んじた重役を困らせたいという思いもあり、協力し娘を隠す。

 長屋の大家が仲裁役を買って出て質屋から大金をせしめた夜、新三はやくざの手下達に呼び出される。覚悟を決めた新三は親分と勝ち目のないサシの勝負をするのだった。姉の家に金の無心に行っていた又十郎の妻は、濡れた夫の着物から重役に渡したはずの手紙を見つけ、全てを察してしまう。又十郎は酔って寝ていたところを妻に殺され、その妻も自害し、翌朝、無理心中の体で発見されるのだった。

 この映画を見たのは随分昔のことになる。日本映画史上の名作を「日のあたらない〜」とはナニゴトか!と怒られるかもしれないと思って今まで紹介しなかったのだが、名作だから「みんな知っている」とは限らないと思われるので、ここで紹介することにした。

 人の恩を忘れた権力者が弱者を踏みつける。金と暴力が人間のプライドを泥まみれにする。

 紙風船作りの内職をしている女房に嫌味を言われるのが辛くて嘘をつき、頼みの家老には蔑まれ、喪家の犬のようになった又十郎。新三の謀り事で件の家老が血相を変えたと聞いて、気持ちよさそうに彼が笑ったとき、観客の胸は張り裂けそうになるのである。人をこんな醜い気持ちにしてしまったのものは何か、と。客はカメラと一緒に泣くのである。

 真実を知り将来を絶望した妻と無理心中させられた又十郎。紙風船がコロコロと溝に落ち、流れて去るラストシーンでは、私は膝の震えが止まらずしばらく立ち上がれなかった。客をこんなに切ない気持ちにさせる映画なんてあるものか、この映画には一片の救いも描かれないのだ。

 「遺作」とは普通、当事者の死をまったく予感させないか、または納得させるものである。後者は体力の衰えや、厭世的な雰囲気や、尋常でない覚悟を感じさせる場合であり、前者はそれらとは無縁である。死は自殺や病気でもない限りほとんどの人が明確には「予見」できないはずだ。だが、この映画が作られた時代はそうではなかったのだろう。健康な年若い男子なら暗澹たる自分の未来を予見せざるを得なかったのだろう。

 日本映画に巨匠と呼ばれる人はたくさんいる。ある人は完璧な美意識で観客を圧倒し、そしてある人は職人的な技巧の粋で観客を唸らせる。しかし山中貞雄の映画は(たった3本しか見てませんけど)、まるで監督が客席で、つまり私の隣で監督が一緒にスクリーンを眺めているような、そんな親近感がある。人柄、なのだろうか。「素人っぽい」て言ってるんじゃないよ。どのシーンもきっちりと計算されていて、それがあざとくなく客と一緒に泣いたり笑ったりするんである。「カメラに演技をさせて、それが観客の気持ちと一体になっている」ということだからね、念のため。

 最近は「頭のおかしい連中が人を殺してカッコイイぜ!」みたいな「名作」が多すぎると思うわけよ、私としては。「殺伐こそ名作」なんてヤだもん、私。この作品が公開された日、山中貞雄の元に召集礼状が届いたのだという。日本映画史上、最高傑作と呼ばれる、最高に「サビシイ」映画。

1998年03月31日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16