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女競輪王


■公開:1956年
■制作:新東宝
■監督:小森白
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:前田通子
■寸評:前田通子が主演する映画には「女…」とつくのが多い。


 実家の魚屋で配達の手伝いをしていた田舎娘・前田通子は許婚・杉江広太郎から正式に結婚を申し込まれるが、競輪選手への夢断ち難く、結婚を先延ばしにして競輪学校へ入学する。 

 同期の少女達と毎日、厳しい訓練を続けた前田は、卒業目前に見学しに行った女性トップレーサーの走りっぷりに感激し、弟子入りを申し込む。だが「ライバルに手を貸すようなことはしません」とけんもほろろに断わられた。先輩に注目されている事実に喜ぶどころか、逆に闘志をかきたてられた前田はちょっと不良っぽい男子のトップ選手・沼田曜一に鍛えてもらうことにした。

 競輪学校を優秀な成績で卒業した前田はデビュー戦でベテラン選手を抑えて優勝する。破竹の連勝街道まっしぐらの前田。ブスでババアの大先輩選手のイビリや妨害工作を乗り越えて、前田はついに日本一の女競輪王になるのだった。トップに立った前田は、やがて自分にもやってくる引退の時、勝負だけに全力をそそぐことに一抹の空しさを感じて、さっさと引退する。実家の魚屋の配達のねーちゃんに戻った前田は許婚の杉江と結婚して幸せになるのだった。

 ムチムチの短パンにピッチピチのTシャツ姿の年頃の娘が集団で、エッサホイサと自転車を漕ぐ。目はグッと前方を睨み額に汗して、特に前田はなまじ「女真珠王の復讐」の「丸見え」よりも、ものすごくエッチな感じなのだが、この映画はあくまでも純粋なスポ根ドラマなのである。下品なアプローチは全然無いし、最後は女性の本当の幸せとは?みたいな甚だマトモなオチなのだ。

 イジワルお姉さんはなぜか関西弁。ルックスは元プロゴルファーの大迫たつ子のような感じで、このテの絵づらでは定番である。そのほか、沼田に妊娠させられる(沼田曜一なんかに心を許しちゃイカン!)女子選手やら、芽が出ないと分かるとさっさと引退して永久就職してしまう同期の選手に対して、前田が抱く失望感や焦燥感の描き方が、あまりにもステロタイプなのにはちょっと閉口するが、「競輪」というテーマのほうがはるかにアタック力が強いのでとりあえず気にならない。

 「私には競輪しかないのよ、それはこの足が知っているわ」「勝つことだけがすべてです」「勝負の世界は厳しいのです」等など無闇やたらと前向きで威勢の良い台詞が、清楚な日本美人の前田通子の口からポンポン飛び出すアンバランスさ。この美女がなぜ「競輪選手に憧れたのか」に関する説明が一切省略されているというのがこれまた凄い割り切りである。

 「お姉様、お姉様」と猫なで声でトップの女子競輪チャンピオンに接近し、陰では「あの女(名前呼び捨て)に勝つことが私の目標よ!」とまで言い切る前田の姿勢は、上昇思考の強い現代女性にも大いに共感を呼ぶところであろうが、はっきり言ってかなりヤな女である。美男子だった許婚が、前田が引退するまでよくも待っていてくれたものであるなあと思ったりもするのだが、これもひとえに前田が美人であったればこその納得である。

 まるで「巨人の星」の女性版である。星親子の行状の数々は野球オタク以外の何物でもなく、前田通子もまた競輪オタクなのである。途中で挿入される悪徳実業家・江川宇礼雄の八百長事件も、前田のなりふりかまわないオタッキーぶりに比べればあまりにも影が薄い。

 競輪にとり憑かれた田舎娘のド根性サクセスストーリーなのであるが、これでブスが主役の映画なら「努力は美徳」と言う単なる道徳映画になるところ。ところが主役が当時の八頭身美女の前田通子なので「どんな美人でも女が恋愛以外にあまりにも一つ事に熱中すると婚期を逃す」という教訓こそが作者の主張なのだろうという思いに至った次第である。

1998年03月23日

【追記】

前田通子さんはこの映画に出る前は自転車に乗れなかったそう。撮影の合間に練習していたら、みんなに冷やかされたとか。

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16