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釈迦


■公開:1961年
■制作:大映
■監督:三隅研次
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:本郷功次郎
■寸評:日本初70ミリワイド画面。


 大映の社長、永田雅一は「非常識で社長になった男」と呼ばれた。経営者としてはどうかと思うが、こと文化芸術の保護育成においてある程度の非常識は常に必要である。また、このアンバランスさが日本映画産業の伝統的な欠点でもあった。

 シャカ族の王・千田是也に王子が生まれた。赤子は生まれてすぐ言葉を発し、修行僧・滝沢修から救世主として期待される。成人したシッダ王子・本郷功次郎はインドのカースト制度に疑問を抱き、賤民や奴隷の悲惨な暮しに絶望し、従姉妹のダイバダッタ・勝新太郎と争って娶った妻・チェリト・ソリスを残して出家する。森の中で邪気や恐怖に打ち勝ったシッダは天女・京マチ子の祝福を受け悟りを開き、名を仏陀と改める。

 シッダ王子の妻を襲い自害させたダイバは一族から追放された。ダイバは仏陀を見返すべくバラモンの高僧・東野英治郎から妖力を授かる。仏陀には多くの弟子が付き従い、仏教の教えはインドの各地に広がっていった。

 子供をさらっては喰い殺していた女・山田五十鈴は、仏陀によって子を奪われる親の悲しみを知り改心した。国王・中村雁治郎の後妻・月丘夢路の求愛を拒んだため彼女の陰謀で目を焼かれた王子・市川雷蔵は、婚約者・山本富士子とともに仏陀から人を許す心を教えられ、帰国して国王と和解する。後妻は恥じて城壁から身を投げた。

 ダイバは肉親と不仲になった遠国の王子・川口浩をだまし、国王・市川寿海を幽閉させ、バラモン神殿の建設と仏教徒の弾圧を唆す。仏陀の弟子・小林勝彦を象に踏み殺させようとするが、いくら命じても象は踏もうとしないのだった。仏陀の奇蹟に感服した王子は処刑を中止させる。母・杉村春子から実子でないと知りながら息子を愛した父の慈愛を教えられた王子だったが、すでに父は死んでいた。

 乞食婆さん・北林谷栄の灯明がどんな強風にも消えないのを目のあたりにしたダイバは、仏陀の力が信者の深い信仰によって支えられていることを知る。信徒の徹底的な弾圧を実行したダイバに対して、ついに仏陀の法力が爆発し、完成なった大神殿と巨大なバラモン神像は一瞬のうちに崩れ去り、ダイバは大地震とともに大地に呑まれたが仏陀に許しを乞い助けられた。

 仏陀が入滅するという日、全国から続々と集まる信徒の列にダイバがいた。仏陀は光に包まれ天へ登っていった。

 「ベンハー」「クレオパトラ」「十戒」、、、ハリウッドの成金映画の向こうを張って大映が制作した宗教スペクタクル映画。しかし金のかかってる映画だねえ。大神殿のオープンセットだろ、お城だろ、バラモン像だろ、それに象(本物と作り物)ね。時代劇は現代劇に比べて金がかかるわけだが、インドを舞台にした映画なんてちょくちょくないから、全部新しく作ったんだろうね、衣装とか道具をね。日本映画の歴史に残るんじゃないの?美術費の金額が。

 と、そんなところだけに感心していてはイカンのだが、正直な話、そういうところだけがとても目につく映画なのである。オール日本語でオール日本人(チェリト・ソリス除く)で舞台がインドの宗教映画だろ?そういうお約束の数々をゴリ押しされても見ているほうはかなり辛い。仏教観が文化として根付いていないんだからさっぱり理解できない。よくわかんない事を熱心にやってる登場人物に共感しろって言われてもそれはできない相談だ。

 お釈迦様の「神秘性」を醸し出すために、三隅監督は悟りを開いた後は本郷の姿を鮮明に登場させないようにした。お釈迦様は影とかロングとかであくまでも人間が描いたイメージとして出てくる。これは正解だと思った。本郷功次郎は顔はシルクロードの仏像風なのでグーだが、声がちょっとくぐもっているので「ありがたみ」がイマイチ。声だけ雷蔵にやってもらえば良かったかもね。

 とにかく海外進出を目論んで社運をかけたオールスター映画だからな、キラ星のごとく出るわ出るわ。エキストラもごっそり動員されている。実に立派であいた口がふさがらない、じゃなかった、迫力満点のハリウッド超級の大作だった。

1998年04月04日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16