私と私 |
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■公開:1962年 |
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伊豆の路線バスの運転手・有島一郎の娘・伊藤エミと、同じく伊豆のゴルフ場の売店でアルバイトをしていた娘・伊藤ユミは幼い頃に生き別れになった双子の姉妹であった。有島は男手一つでエミを育て、ユミの母・淡路恵子も夫に先立たれ女手一つで娘を育てた。エミとユミはひょんなことから有名な作曲家・宝田明に才能を見い出され、芸能プロダクションのオーディションを受ける。 二人とも一人娘であるから、東京で芸能界に入ることを両親がなかなか承諾しない。そこでユミのボーイフレンド・西条康彦の発案で、妻を亡くした有島と後家さんの淡路を結婚させようとする。淡路が有島に気があるように思わせるため西条はあれこれデマカセを言うのだが、これがすべて裏目に出てしまい、淡路は有島を「女好き」と誤解し、有島も淡路を「男勝りの女傑」と思い込んでしまい二人の仲は決裂してしまう。 両親の不仲はエミとユミのコンビネーションにも影響し二人はコンビ別れ寸前に。ところが誤解が解けて両親が和解すると二人もすぐに仲直り。めでたく新曲の発表会を迎えるのだった。 「南京豆を二つに割ったら、どっちもソックリでしょ?だから二人はザ・ピーナッツ!」(by 犬塚弘)。冒頭の10分でオチの台詞まで読めてしまうほどお話は単純だ。例によって例のごとくナベプロのタレントがどっさり出てくる。中尾ミエ、伊東ゆかり、それになくてはならないクレイジーキャッツ。 家族で楽しむ東宝映画、とりわけこのミュージカル部門ではどんでんがえしや血生臭い事件は一切起きないことになっていて、アイドルはあくまでもアイドルらしくニコニコと微笑んでいるのである。 この映画のキーワードは「安心」である。見ているほうも出ているほうも、のんびりとリラックスしながらこの明朗な青春ミュージカルを楽しむひととき。ハダカもテッポウも出てこない映画。時々挿入される淡路恵子と有島一郎の結婚話もまた、このテの映画には定番のスパイス的な「ペーソス」である。 平べったい照明が陰影の無い絵を作るのは、照明部の怠慢ではなくて単に話に陰影が無いから。ストレートだよなあ。こういう映画を「退屈」と取るか「ほのぼの」と取るか。劇場で見たら猛烈な睡魔に襲われるであろうことだけは覚悟しといたほうがヨイ。 驚いたり泣いたり欲情したりするだけが映画の楽しみ方ではないのだから。 (1998年04月11日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16