「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


河内山宗俊


■公開:1936年
■制作:日活
■監督:山中貞雄
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:河原崎長十郎
■寸評:たった3本で伝説になった男の映画 。


 かのジェームズ・ディーンは「ジャイアント」「エデンの東」「理由なき反抗」の3本で有名だが、山中貞雄も「丹下左膳余話・百万両の壺」「人情紙風船」そして本作品とあわせて(現存しているフィルムが)3本だけで伝説になった。

 居酒屋の女将のヒモ、やくざの用心棒、賭場へ出入りする小倅。日頃は無頼の輩として生きている男たちが美しい少女のために命をかける。「天保六歌撰」に登場する、河内山宗俊、金子市之丞、直次郎らが、シチュエーションを変えて男儀を炸裂させる時代劇。

 甘酒売をしている少女・原節子にはちょっと不良な弟、直次郎がいる。露店商からショバ代を集めて回っているやくざの用心棒、金子市之丞・中村翫右衛門は、カワイイ原節子からだけはいつも集金しないのだった。原は家に寄り付かない弟が入り浸たっている賭場の親玉、河内山宗俊・河原崎長十郎に「弟を出入りさせないでください」と頼みに行く。宗俊は原の健気さにひかれるが、女将はこれにヤキモチを焼く。

 ある日、直次郎は茶屋で幼馴染みの娘と出会う。一本気な直次郎は、がめついやくざの親分のモノになりかかっていた彼女を岡場所から連れ出した。逃げ切れないと悟った娘は直次郎と心中を図る。生き残ってしまった直次郎の家に親分がやって来る。借金を返すために原節子は身を売ることにした。それを知った直次郎が親分を殺す。原節子を人買いから取り戻すために、宗俊は直次郎が盗んだ小柄で大名を詐欺にかけ大金を巻上げる。

 やくざが直次郎を追ってきた。宗俊は直次郎と市之丞を逃がそうとするが、片足が不自由であることから世をすねていた市之丞が「これで世間の無駄飯食いではなくなるような気がする」と原のために命を投げ出し宗俊と直次郎を先に行かせて、やくざと壮絶に斬りあって死ぬ。宗俊と原の仲に嫉妬した女将も「アイツは俺の女房だ」と最後まで自分を信じた宗俊のために、やくざに立ち向かって殺される。溝を逃げる直次郎と宗俊。直次郎に金を託した宗俊は仁王立ちになって追っ手を阻んだ。宗俊の体を刃が貫いた頃、直次郎は姉のもとへ必死に走っていた。

 綿のような(綿なんだろうけど)雪に包まれて、絶望した原節子が歩いて行く。雪のひとひら、ひとひらが、切なくて、泣けて泣けて、思わず原の体をギュッと抱きしめているようにも見える。画面の隅々まで、説明臭くなく絵が生きている、見るものに切々と語りかけてくるようだ。

 原作が講談なので男たちがカッコ良すぎるのは当然。この映画に出てくるヒーローたちは、それぞれちょっとユーモラスで愛敬があってすこぶる人間臭い。全編を貫くテンポの良さとユーモアの数々。作り手の心の華やぎが聞こえてくるようだ。やんちゃでやさしい語り口に見る者の心がゆさぶられてしまう。これが天才の片手間仕事?結果よければすべて良し、面白いんだから仕方ないや。

 台詞に口語がばんばん飛び交うために最近の映画では?と錯覚するほどだ。小柄を盗まれた侍が「切腹」を連呼するものだから、ソノ気がない人ほど「死ぬ、死ぬ」とわめくものだと承知の市之丞が「で、いつ腹を切ります?」「人生わずか五十年とか言いますなあ」と軽口をたたく。相手もいくら殿様から拝領の小柄とは言え「そんなもんで死んでたまるか」と思っているので全然、お話が深刻にならない。

 若くて現実離れした美人を妬んだ女将も、一度は原節子を三下やくざ、暗闇の丑松・加東大介に渡してしまったのだが、やくざ相手に「俺の女房をみくびるな」と啖呵をきった宗俊の言葉をじっと聞き、つっと立って今度は亭主のかわりに原を守る。胸のすくような女の侠気。

 さて、原節子。当代の美少女タレントは尻尾を巻いて退散すべし、である。当時、原節子は十七(数えで十八)歳!。この映画を成立させているのは、市之丞や宗俊が命を懸けるにふさわしい「お宝」であるところの少女の「値うち」がいかほどのものか、という点だ。「絶世」という形容詞はこういう時に使うのだと納得する、それほどこの映画の原節子は美しい。成人以降、中年期以降の原節子しか知らない人は大不幸だね。

 たった3本しか見ることができないなんて残酷すぎるう〜。他の山中貞雄のシャシンは本当に現存していないのか?直ちに政府は彼の全作品を国宝に指定し他のフィルムを捜索する「国家プロジェクト」を発足させよ!私の税金使ってイイぞ!それくらいのことをしたってバチは当たらん。

1998年03月31日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16