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歌行燈


■公開:1943年
■制作:東宝
■監督:成瀬巳喜男
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:花柳章太郎
■寸評:スノービッシュな芸道映画。


 謡の若手名人・花柳章太郎は父・大矢市次郎が列車の中で、客から「関西にはすばらしい謡の大先生がいるからそこで勉強したら」と言われているのにいたく憤慨する。父は軽く受け流したが、花柳は件の名人と呼ばれる按摩の屋敷を訪れ、一曲習いたいと申し出る。案の定、按摩の芸は花柳の父などには到底及ばぬ代物であった。非礼を詫びる按摩に、してやったりと意気揚々、按摩の家の妾たちまでにも「死んでも人のオモチャになるな」と説教をして宿に引き上げた花柳は、翌日、按摩が恥じ入って自殺したことを知らされる。

 父の大矢は「相手を懲らしめる事は驕慢の証」だと言い、花柳を「二度と謡を口にするな」と勘当してしまう。しがない博多節の門付けになった花柳はふとしたことから元板前の門付け仲間・柳永二郎と知り合い、按摩の妾だと思った女が実は娘・山田五十鈴で、傲慢だった父の死によって山田が故郷を追われ、柳の姉の所へ匿われている事を知る。山田は唄も三味線もできない不器用さから、ひどく落ち込んでいた。花柳は父の言いつけに背き、身元を隠して山田に舞を教え込む。

 山田の行く末が気になりつつも、再び門付けの仕事始めた花柳は、田舎の温泉街で叔父・伊志井寛の鼓の音を聞く。花柳が駆けつけた座敷では父の謡に叔父の鼓で見事な舞を披露する山田の姿があった。息子を勘当してはみたが、得難い謡の名手を失ったことを深く後悔していた父は、花柳の勘当を解くのであった。

 自分が到底かなわぬモノを見せつけられたとき、人は驚いたり感心したりする。猿回しのエテ公だろうが花形歌舞伎役者だろうが、体に叩き込まれた芸というのは無条件に感動できるのである。

 按摩はそこそこの謡の名手であったが、その呼吸に先んじて手で膝を打ち、相手を圧倒する花柳の気迫。名人とまでは行かなくてもある程度修行を積んだからこそ、花柳の芸の力を按摩は理解したわけだ。息を乱して詫び、あなたの謡が聞きたいと渇望する按摩に花柳は「俺の声は何町も先まで届いてしまうから、親父や叔父にバレるのが嫌なんだ」という理由で断わる。芸の力のすさまじさを描いてあまりあるシーンである。

 とかなんとか、分かったようにしているけれども、新派と聞いただけでなんとなく「クサイ」と感じてしまう私である。花柳章太郎と聞いても、全然スゴさが分からない。息子の喜章なら「山椒太夫」があるからまだ理解できるが、そのお父さん?柳永二郎と一緒に活躍した人?ふーん、てな具合である。

 映画俳優ならばある程度、長い時間を経ても目に触れる機会が多いから多くの人の記憶に確かに残るけれども、舞台俳優は劇場に足を運んだ客にしか見られないし、毎度それっきり1回限りの芸だ。最近でこそビデオがあるので残るようになったが、戦前の舞台となるとかろうじて銀塩写真による静止画がやっとだ。

 芸の世界のしきたりや型の美しさは、やはり勉強しないと面白さが伝わらない。それにどうもこの、新派の俳優さんたちの何ともいえぬスノービッシュな雰囲気が鼻についてしようがない。新派が何様のもんかよ、映画を馬鹿にしてんのか?オマエらは!などと失礼を承知で思えてしまうのだ。

 こういう「客に説教を垂れるような」映画が好きだという人には快感だろうが、やはり私は「観客を喜ばせるために努力している」映画の方が好きなので、どうも体質に合わないのだ、こういう映画は。芸を学んでそれが素晴しいというのは認めるけれども、威張りくさってんのはキライだよーん。

 当時まだ二十代半ばだった山田五十鈴がやたらとキレイで可憐な、そこだけは分かりやすくて、私ですら十分に堪能できる芸道映画。

1998年03月31日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16