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家光と彦左と一心太助


■公開:1961年
■制作:東映
■監督:沢島忠
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:中村錦之助
■寸評:死を覚悟した太助が一人、夜の河岸にたたずむショットの美しさ!


 本作品のオリジナルは「王子と乞食」。 

 天下のご意見番、大久保彦左衛門・進藤英太郎の一の子分を自称する、魚屋の一心太助・中村錦之助は姿形が次の将軍候補の家光・中村錦之助(二役)にうり二つ。家光の実弟、忠長・中村賀葎雄は実母・風見章子と上野介・薄田研二が、兄を亡きものにして、自分を将軍の座に据えようとしていることに心を痛めていた。人物も器量も優れた家光を心底慕っている忠長はなんとか母親の陰謀を防ごうとする。

 ある日、家光の酒に毒が盛られた。彦左衛門は家光が脳の病気であると芝居をうち、巧みに太助と入れ替える。字は読めないし、およそ行儀など知らない太助は彦左衛門の助けを借りながらなんとか替え玉作戦を遂行する。その頃、太助もまた「殿様病」にかかっていた。太助に化けた家光は、町人の生活に面喰らいながらも、警護役の柳生十兵衛・平幹二郎とともに太助の恋女房・北沢典子に正体が見破られないように身を隠していた。

 夜半、家光に化けた太助は忠長に呼び出された。忠長を疑っていた太助は「忠長と一緒にいるときに自分が殺されれば、陰謀は暴かれる」と決死の覚悟で同行する。二人きりになったとき、突然、土下座した忠長は「着物を取り替えてほしい」と言うのだった。困惑する太助に忠長は「腕の立つ大名・山形勲が兄の命を狙っている。夜目遠目なら自分を兄と見誤って襲うだろうから、自分が死ねば母も思い直してくれるだろう」と言い、泣き崩れるのだった。

 太助は忠長の思いを彦左衛門に報告しに行くために、忠長を連れて秘密の抜け穴を通って江戸城を脱出。その頃、忠長を心配した家光も彦左衛門の屋敷に向かっていた。そこへ、替え玉作戦を見破った、町のゴロツキと忠長の母親が差し向けた暗殺隊が殺到する。

 とにかく面白すぎて、楽しすぎて、どこから紹介したらイイのか迷う作品だ。見所が多すぎて困っちゃうのだが、とりあえずこの映画の「最大」の見所は錦之助による家光と一心太助の二役。

 太助に化けた家光が河岸へ行く。そこへ奉行の威光をかさにきた地回り・沢村宗之助がインネンをつけにくる。立ち向かった家光に地回りが「お奉行様が怖くねえのか!」とスゴむが、社長(将軍)が中間管理職(奉行)を恐れるはずもなく「別に怖いとは思わぬ」とかわされる(痛快!)。一方、家光に化けた太助は長袴に悪戦苦闘。転んだところを助け起こした彦左衛門に「手が魚臭いのでバレてしまう」と忠告を受け、ズッコケる度に誰も助けに来ないように「(意味も分からず)すておけ(放っておけ)!」と叫びまくる(爆笑!)。

 錦之助の「ワンマン(二役)ショー」を心から堪能しようではないか。まず「殿様・錦之助」。立ち居振る舞い、所作の隅々にまで気品が漂う錦之助の殿様姿は、まさに芸術。一朝一夕に身に付けられるものではないね、この美しさは。そのまま町人姿になった時の問答無用の「ヘンテコ」さもグーだ。

 ある日、太助が可愛がっていた少年が喧嘩をしていた。通りかかった太助に化けた家光が止めに入って事情を伺っていると、少年は継母の連れ子を苛めていたワルガキどもと奮戦していたのだった。継母に邪険にされている少年だが、血は繋がらなくとも、やはり弟は可愛い、弟もそんな少年を兄と慕って懐いているのだ。家光は権力争いにかまけて、実の弟を信じてやれなかった自分を反省し、また自分のために命を懸けている太助たちを救うために、危険を承知で江戸城へ戻る決心をする。

 人を信じることの素晴しさ、人のために命を懸けて何かを成し遂げることの崇高さ。この映画は人の善意を丁寧に描いた秀逸な人間ドラマでもあるのだ。沢島忠を「錦之助とひばりの座付監督」だと馬鹿にしちゃいけない。「ひばり」はその素材の限界ゆえにとりあえず「無視する」としても、錦之助という最高の素材を素直に喜んで、魅力を引き出すことに注力した功績は賞賛されるべきだ。

1998年02月26日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16