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ザ・ヤクザ


■公開:1974年
■制作:ワーナー
■監督:シドニーポラック
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:高倉健
■寸評:健さんが出ている映画はすべて「日本映画」とみなす。


 昔、日本のヤクザは「ジャパニーズ マフィア」と呼ばれていた。今では「ヤクザ」で通用するらしいが、そんなんが日本の文化の一翼と見なされるのはいかがなものか?やっぱこれも一つのオリエンタルミステリーらしい。 

 米国人の実業家・ブライアンキースの娘が日本のやくざに誘拐される。キースは旧友の元刑事・ロバートミッチャムに娘の救出を依頼した。進駐軍として日本にいた時、ミッチャムは戦争未亡人・岸恵子とその娘を助けてやった縁で、岸と夫婦同然の生活を送っていた。やがて任期が終了した彼は一人で帰国した。岸には、やくざの高倉健という兄がいた。キースは高倉の協力を得るためミッチャムに助けを求めたのだ。キースは自分の部下の若者を助っ人としてミッチャムに同行させた。

 東京で米国人の歴史学者の家にやっかいになったミッチャムは、高倉を探すために岸を訪ねた。岸は娘の花子ともども彼との再会を心から喜んだ。高倉はやくざから足を洗い、京都で剣道を教えている。キースの娘を誘拐した日本のやくざの親分・岡田英次もまた京都にいた。

 とかくハリウッド映画に登場する「日本」は噴飯ものである場合が多い。1997年公開されたジョディフォスター主演の「コンタクト」に登場した日本人なんか未だに「ニンジャ」だったが、この映画は違う。かなりちゃんとしているのだ。ヘンテコなのは日本かぶれの外人の家くらいなものか。

 ブライアンキースは裏で岡田英次と取り引きをしていた。キースの事業は火の車だったので、岡田に多額の借金があったのだ。キースは自分の借金帳消しを条件に、日本裏社会の実力者である岸恵子の兄・ジェームス繁田の抹殺を、岡田に約束していた。

 ミッチャムと高倉の留守中に、岡田の部下が岸母娘を襲う。キースの陰謀をミッチャムに告白した若者と娘の花子が惨殺される。ミッチャムは東京のホテルに滞在していたキースを射殺し、高倉健とともに岡田の屋敷へ乗り込んでいった。

 ジジイでも、デブでも、枯れても、元ヒロポン中毒でも、一応ハリウッドスターでしょ?ロバートミッチャムって言えば。それが肝心要の出入りシーンでは完璧にみそっかす。アメリカ人らしく散弾銃という、力まかせでアバウトな武器を片手に、障子を木っ端微塵にするイキオイで突進するミッチャム。しかし日本家屋は外人さんにはチト狭かったのかも。細かい動きの連続で、息切れして座り込んだミッチャムは、出入りの後半、上半身裸で例のごとくモチ肌に「不動明王」の入れ墨が鮮やかな健さんの活躍をただ見守るだけ。

 クライマックスは岡田の客分・待田京介と健さんの一騎討ち。スーツ姿の待田と健さんの日本刀によるサシの勝負。俯瞰から撮ったカメラワークがとても新鮮。映画の主役は、完全にこの二人がかっさらった、という感じ。

 岸恵子と高倉健が実は夫婦だったと知らされたミッチャム。

 岸の兄のジェームス繁田の息子・郷英治が岡田の子分だったので、彼だけは助けるようにと、繁田から依頼されていた健さんだったが、実の娘を殺した張本人の郷(ツルツル頭に蜘蛛のタトゥー付き)を許すことができず殺してしまう。指を詰めて繁田に詫びを入れる健さん。それを見たミッチャムは、一連の責任はキースにだまされた自分にあると考え、ある決心を固めていた。

 空港から引き返したミッチャムは、な、なんと、健さんの目の前で指を詰めたのだった!そこまで日本にかぶれたのか?イヤ、違った日本の文化に共感したのか?ミッチャム!

 「太平洋戦争中の東京では広島や長崎よりもたくさんの人が死んだ」という正しい歴史の認識といい、今では悪い意味でしか使われない「義理」という、本来は日本人の「美徳」とされる概念の真摯な解釈といい、日本人よか外人のシドニーポラックの方が、よっぽど日本の文化を真面目に分析し、かつ愛着をもっていたということか。

 アメリカ人と日本人が共演する本作品は当然、台詞は英語と日本語がちゃんぽんで登場し、英語部分には日本語字幕がつくのだが、単純明快な英語の会話より、ジェームス繁田と日系人娘が演じた花子、および時々繰り出されるミッチャムの日本語のほうがはるかにアヤシかったので、そっちに字幕をつけたほうが適切だろうと思った次第。

1998年02月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16