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ふたりのイーダ


■公開:1976年
■制作:ふたりのイーダプロ
■監督:松山善三
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:原口佑子
■寸評:寝た子を起こす。


 夏休み、母・倍償美津子の田舎に遊びに来た幼い兄妹が、森の中で瀟酒な洋館の廃屋を探検する。そこには妹・原口佑子と同じくらいの背格好の折り畳み椅子がぽつんと置かれていた。二人が近づくと、その椅子・宇野重吉(声)は突然、動き出しおまけに喋り出した。椅子は妹を「イーダ」というあだ名の少女と勘違いしているらしい。怖くなった二人が逃げ出そうとすると、椅子は兄に襲いかかった。やっと再会できた「イーダ」を連れて行かれるのが嫌だったのである。

 椅子は「イーダ」の帰りをずっと昔から待っていて、どうしても本物の「イーダ」に会いたいと言う。兄弟は椅子の願いを叶えてやるために、かつての椅子の持ち主であった「イーダ」を探しに行くことにする。

 椅子が待っていた「イーダ」はすでに死んでいた。太平洋戦争の末期「イーダ」は広島市街で両親と共に原爆に遭い、水を求めて川にたどり着いて息絶えたのであった。兄弟は「イーダ」の死を信じない椅子を川に連れて行く。夜、椅子は「イーダが呼んでいる」と川に飛び込んでしまった。川の底にはおびただしい数の人影があった。その中に防空頭巾をかぶった「イーダ」らしき少女もいた。そして同じ様な子供用の椅子がたくさん沈んでいた。椅子はバラバラになりながら、嬉しそうに仲間と「イーダ」の元へ帰って行った。

 兄妹はあちこち尋ね歩くうちに、原爆が「イーダ」と「椅子」に何をしたのかを知った。同時にたくさんの「イーダ」とたくさんの「椅子」の存在を知ることができたのだった。新聞記者をしている倍償美津子は広島の出身で胎内被爆をしていた。その事から恋人・山口崇との結婚に踏み切れないでいるのだった。

 子供の頃にこの映画を見た私は、母親の葛藤の意味が分からなかったが「原爆は伝染る」という風説があることを知ってかなり驚いた。戦争が奪うのは命ばかりではなく、他にもいろいろあるんだなあと漠然と理解した。死んだ者はもちろん、原爆は生き延びた者にまで、まるで影のようにしつこく付きまとう。

 椅子というのは色々と想像力をかきたてられる素材である。人は椅子に座るときは結構、無防備である。それに身を委ねて、くつろいだり、泣いたり、まどろんだりする、とても人間に近い家具だと言える。この映画では少女を待つ椅子の気持ちに「死んだ子の歳を数える」親の気持ちを代弁させたのだ。

 意思を持ったフォルクスワーゲンが大活躍をする「ラブバッグ」が好きな私としては「大切にしているとモノにも魂が宿る」というこの映画のポリシーには無条件に賛成だ。椅子の造作もスペインあたりの手作りの雰囲気で素朴で、キコキコ動くシーンの特撮も見ていてほのぼのとさせられる。だからこそ余計に気持ちを注いで見てしまった。

 子供をダシに使ったという評価もあろうし、原爆症への差別という「寝た子を起こす」映画だとも言える。それでも無差別殺戮を許容する人間なんて絶対にいないんだ、と素直に心から信じたい気分にさせられるのは、やはり原作者、松谷みよ子氏の力であろうか。

1998年03月17日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16