しとやかな獣 |
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■公開:1962年 |
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軍人恩給って何だ?負け戦というのは民間企業で言えば会社が倒産したのと同じだが、その会社からなおも「恩給」を受け取れるとはどういうことか?しかも職業軍人というのは管理職だろう?被雇用者に相当する兵隊よりも手厚い恩恵をもらうという神経がよくわからない。職業軍人は敗戦当日に全員、切腹してるはずじゃなかったのか?価値観が変わったことを自分の良い様に解釈して甘い汁を吸うのは時代が大きく変化したときにはとかくありがちである。 ま、それはさておき、ようするにそういう「うさんくさい」話である。 軍人恩給をもらっているが現在無職、ただならぬ山っ気があり商売に手を出しては散財する・伊藤雄之助、お母さんは専業主婦・山岡久乃、芸能プロダクションに就職している長男・川端愛光、小説家の愛人をしている長女・浜田ゆう子。この一家が暮らしているのは団地の中層階。映画はこの一室にほぼ限定して展開する。 川端が会社の金を横領したと言って怒鳴り込んでくる社長・高松英郎、ギャラをつまみ食いされたボードビリアン・小沢昭一、経理を担当している子持ちの後家さん・若尾文子、その若尾と愛人関係にあって汚職をしてしまう役人・船越英二、長女の雇い主である小説家・山花茶究。これらの人々がアパートに出たり入ったり。ある時はバルコニーなめに、ある時はパントリーの奥から、写真週刊誌のような趣を見せつつ、カメラは考え付く限りのあらゆるポジションから人々を撮る。 長男の巨額な横領を追及しに来たはずの高松が、実は若尾に徹底的に食い物にされていた。長男も若尾にせっせと貢いでいたが実はものの見事な二股だった。で、それだけかと思いきや、高松の脱税やらなんやらに荷担していた船越も実は若尾と、、。お母さんの山岡とお父さんの雄之助は、若尾のあっぱれな手練手管に感心し、むしろ横領した金を全額、家に入れなかった事実についてのみ、長男を叱るのである。 世間体をはばかる未亡人という身の上で、息子の将来のために、そしてなにより自分のために、不安定な経済状態を盤石なものとするために、旅館建設を企む野望経理事務員という豊田恒二センセイの大衆小説そのまんまの若尾文子は肉体を武器に男達を手玉にとっていた。ならば若尾文子はすげーヤな女かというと、必死に健気に「金を巻上げて」いるのであって、全然、意地汚なく見えないというのが不条理であるが、それがなぜかとても円滑に納得できてしまう。 底無しの赤貧生活から這い上がった、一家の絆は驚くほど強固である。これに対し一家に絡む切羽詰まった人々は皆、とてもひ弱である。きっと各々に営む家庭生活は、この泥棒一家とは比較にならないほど、希薄なのだろう。そう、この高度成長時代前期のアパートの一室は「アラモの砦」なのだ、ちょっとやそっとで破壊されたりはしないのだ。 登場人物は全員、利己主義で自分勝手で破滅的かつ刹那的な生き方であるが、ただひとつ共通しているのはズバリ、己の欲望のためなら「人でも殺しかねない」ほどのバイタリティーである。共通の目的に邁進するとき、その団結力は問答無用だ。 高松は消沈し、船越は自殺、かろうじて川端だけは、出自のたくましさから破滅しなかったが、我を忘れて完成なった若尾の旅館にカチコミを掛けたりする。浜田ゆう子の愛人、山花茶究も散々だ。雄之助にたかられまくって、一応は浜田に未練があったのだが元々、ドケチな人なので、女より金をとって、山岡久乃に「肝っ玉の小さい人、所詮、三流止まり」みたいな辛辣な陰口を叩かれてしまうのだった。 このように男どもはきわめて脆弱で矮小な人物なのであるが、女性は一人残らず驚くほど逞しい。セクシーボムの浜田ゆう子でさえ、こと金が絡んだときのフットワークの良さは素晴しすぎる。まさに獣だ。 そしてトドメはお母さんだ。どんなピンチにも動じないのは伊藤雄之助もうそうだが、さらに「しとやか」に逆境をかわして(解決しているわけではなく)行くのが山岡久乃である。「おまえみたいな世間知らずはあの方(若尾)に勝てるわけないんですよ」という息子に対する説諭の的確さ、「お父さまは立派な方なのよ」という一家の団結を常日頃から提唱するマンドコントロール、口は丁寧だがこの女が最高のくわせ者であり、この一家の要であるという事実は、衆目の一致するところであろう。 資本主義は強い者にはとても都合の良い制度であるが、早い話が弱肉強食である。個人主義や資本主義の行き着く先がこの一家、という風刺を通り超した「説教(ブラックユーモア)」的映画。 (1998年03月11日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16