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妖僧


■公開:1963年
■制作:大映
■監督:衣笠貞之助
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:市川雷蔵
■備考:坊主まる損。


 奈良時代。10年に及ぶ修行に耐えた僧・市川雷蔵は生死を自在に操る法力を会得し、貧しい奴隷達を救済していた。数々の奇跡の噂を耳にした女帝・藤由紀子は幼い頃から足が不自由だったので、彼を呼び寄せ治療してもらうことにした。都では太政大臣・城健三郎(元・後・若山富三郎)が汚職をしており、世間知らずの王子を唆して謀反を企んでいた。

 雷蔵は法力で女帝の足を完治し、太政大臣たちの襲撃を予言し女帝を守る。女帝は雷蔵を重く用いただけでなく、伴侶として迎えようとする。雷蔵は政にも仏教の癒しの教えを浸透させようとする。若い武官たちは大いに賛同するが、高官・小沢栄太郎らがこれに反対し、雷蔵暗殺を計画する。

 実在した弓削の道鏡の伝記をベースに、世俗と隔絶していたストイックな男が、恋に目覚め、最後は恋人に殉じる姿を、雷蔵の高品位なキャラクターを生かし、特撮をふんだんに盛り込んで壮麗に描く。これは時代劇というより、古代ロマンSF映画と言える。道鏡を権力欲の塊の俗物ではなく、金権政治に対抗した、ピュアな悲運の人として描いているところがミソだ。

 雷蔵は僧侶の役と聞いて剃髪したそうだが、監督の要望により、ボサボサ長髪の髭面というワイルドな姿で登場する。「坊主丸儲けならぬ、丸損ですわ(笑)」雷蔵は周囲に語ったそうだ。実在の道鏡は朝廷に取り入り、法皇となり権力をほしいままにしたが、朝廷崩御とともに左遷された人。こんなヘンテコな役がどうして雷蔵なの?とも言えるし、雷蔵だからこそ耽美的な役に昇華しえた、とも言える。とにかく雷蔵ファンにはいろいろと戸惑うことが多かったんじゃあなかろうか。

 修行、なんだから当然、雷蔵はかれこれ10年間も女っ気ゼロ、女帝だって宮中から一歩も外へ出たことがない。つまり童貞と処女が出会って、しかもこれが美男美女、くっつかない道理はない。足は治ったけど、今度は胸を患った女帝に「あ〜胸が〜胸が〜」とか色っぽい声を出された日にゃあ、坊主の頭の中は桃色一色!とても法力どころじゃない。

 悶える女帝を見つめて多汗かいて苦悩する雷蔵はかなりヘン。どーしたんだ、雷ちゃん!と心配になるほど。最初は背中を剣で貫かれても、気合い一発で治した雷蔵も、女帝に恋をして法力を失ってからは、その女帝を病気で死なせたばかりでなく、再度の暗殺にはあっさりとやられる。そして女帝の遺体の傍で絶命(っつうか殉死ですな)するのだ。自己陶酔的破滅型のキャラクターは衣笠監督のオハコであるが、それにSFが加わってかなり猟奇的な仕上がり具合。

 女帝の藤由紀子は私生活では故・田宮二郎の奥さんだった人、エキゾチックな美人だ。女官役の万里昌代は太政大臣の愛人で反乱軍の手引きをして殺される。それにこれが引退作品になった近藤恵美子。王朝ムードを醸し出すには申し分のない美女揃い。歩いていた鼠が白骨になったり(しかもそのまま歩き続ける!)、大蛇が蝶々結びになったり、特撮の小技なんかはなかなか楽しい。

 現代劇は風俗を描くが、時代劇というのは時代に左右されない普遍的なテーマを描いているものだ。「媚薬」や「魔女の宅急便」でもそうだったように、恋で己を失うというのは洋の東西はおろか時代すら問わない普遍のテーマのようである。

1998年01月02日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16