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弾痕


■公開:1969年
■制作:東宝
■監督:森谷司郎
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:加山雄三
■備考:若大将、蜂の巣!


 いやあ、おどろいちゃったねえ、加山雄三って映画で死んだことあるんだねえ。え?戦争映画や「忠臣蔵」で死んだことあるって?じゃなにかい、おまえさん「加山の死体」って確認したことあんのかい?

 「加山雄三の死体が見られる」それだけでもこの映画は値打ちものだ。(ほかにもあるかもしれないけれど、とにかく私はこの作品で初めて見た)

 CIAの優秀な日系人の活動員・加山雄三は、中国人の亡命者・岸田森を助ける。加山は中共側の殺し屋・佐藤慶田中浩に付け狙われる。佐藤に狙撃された夜、流れ弾にあたった現代彫刻家・太地喜和子を手当した加山は不思議な魅力の彼女に魅かれていく。米国に亡命したと思われた岸田森は、加山の上司・岡田英次の手によって拷問されていた。岸田は中共側のスパイだったのだ。岸田の口から国際的な武器商人が中共側と盟約を結ぶらしいことが分かる。しかしこの商人はアメリカにとっても重要な人物。CIAは殺さずに契約を阻止するよう活動を開始する。

 第一作の「狙撃」で加山を「人間扱い」して失敗したのを反省した東宝は、今回は加山を徹底的に無人格な殺人兵器風に描く。つまり組織の一員として心身ともに「プロ」として登場させたのである。学生気分が残っていた台詞回しを、一本調子のネギ調に切り替えさせ、シブいスーツ姿で通させた。これが大正解。監督も黒澤明の直系であり、「加山雄三で世に出た」森谷司郎を起用し、ぐっと男性優位な展開とした。

 加山が演じるのは米国移民の日本人の子で戦争中はゲットーに入れられた経験もある、二つの祖国の狭間で自分のアイデンティティを模索しているという複雑な生い立ちのキャラクターなのだ。ある日、米軍基地に安保粉砕を叫ぶ左翼学生が特攻突入をはかり、火だるまになる。死んでいく学生の一途な目に「何か」を決意した加山は東西関係なく武器を売り歩いている死の商人を、上司の命令に逆らって射殺する。

 さて、ここからが見どころです。

 南米に旅立とうとする太地喜和子が船に乗って待っている。そこへ加山のいすず117クーペ(まっ、おしゃれ!)が滑り込む。突如、暗がりに潜んでいた車のライトが加山を照らした、、、そして太地の目前で加山雄三はハチの巣になって死んでしまうのだ。CIAは日本人のアイデンティティに目覚めてしまった彼を始末したのだった。船つき場から血の海に沈んだ加山の死体が、出航した船を無言で見送った。

 どうだ、スッゲーだろ。超音波の謎の拷問機で鼻血出して、よだれだらだら流して大暴れした岸田(森)の大将を見たときには、こりゃまた加山さんかすんじゃうかな、と不安になったけど、このラストシーンで大逆転だ。「主役の死にはスローモーションを」がお約束になったが、ちょっとワイヤーアクション入ってませんか?おお、こりゃ香港アクションみたいだ。初弾が命中した加山雄三がポーンと3メートルくらい後ろへ吹っ飛ぶんである。

 これ見てたらアラン・ドロンの「スコルピオ」思い出しちゃいましたね、私。太地喜和子とのベッドシーンも結合部分を彫刻作品で巧みに隠したりして、「あの胸にもういちど」のマリアンヌ・フェイスフルっすか?って感じだ。あ、あの時はヌードだったっけドロンは。

 60年代初期の東宝アクションはアメリカ・ギャングだったけれど、70年代はフィルム・ノワール系。小柄なインテリの岡田英次や、不健康なインテリの佐藤慶が、まことにヨーロッパ的だ。森谷監督らしく太地喜和子(を含む女優全般)の存在感が不条理(とってつけた感じ)だが、寡黙でニヒルな加山雄三がともかく絶品だ。渋いぜ!加山雄三!

1998年01月27日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16