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戦国野郎


■公開:1963年
■制作:東宝
■監督:岡本喜八
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:加山雄三
■備考:独立愚連隊、江戸時代にタイムスリップ?


 この映画の中で加山雄三と中丸忠雄が空中戦を展開する。今ならワイヤーアクションで役者を吊るすんだろうが当時はスプリングボードを使って実際に飛び跳ねていたのである。おかげで二人とも力が入らず苦労したそうだが、加山はあまりにも過酷な撮影に耐えかねてカカト痛を理由に途中でリタイヤしかかった。軟弱なんだからもー、中丸さん見習いなさいっつーの!  

 武田家の忍者・加山雄三は冷酷な武田信玄に仕える生活が嫌になり、リーダー・中丸忠雄と闘ってこれを倒し、逃亡する。同じく加山を追ってきた忍者・中谷一郎は加山に惚れ込み対決せず一緒に旅をすることになる。旅の途中、二人は馬で荷物を運ぶ一団と合流する。そこへ田舎侍(実は木下藤吉郎)・佐藤允が現われ織田家に銃を運ぶ仕事を頼みに来た。佐藤は加山をともない武田の目をくらますために海賊にも銃を輸送する仕事を依頼する。

 銃を強奪するために後を追ってきた武田の忍者軍団はまず海賊船を襲撃するが荷は偽物だった。加山と中谷はまんまと逃げおおせたかに見えたが、武田側に追いつかれ壮絶な闘いを繰り広げる。武田の忍者達は突如出現した佐藤允の鉄砲隊の銃撃に全滅した。馬借隊の荷物も偽物だったのだ。佐藤は加山に味方になれというが、加山は「俺は雑草のように生きる」と言い残して馬借隊とともに旅立つ。

 加山雄三というのは恵まれたスターであるが、反面、気の毒だったとも思う。「若大将」で見せた大らかな健康優良児というのはこの人の魅力の一面にしか過ぎない。たとえばこの映画ではただ野放図な若者ではなく、集団の中の個である自分を見つめ人間にとって本当に大切な、守らなければならないものは何か、それは自由なのだが、それを得るために悩み、苦しむ。それが説教臭くならず、清々しいというのが素晴しい。上流のぼん風の甘いマスクに見え隠れする深慮と気品、これが若い時からもっと出ていればこの人はもっと俳優として活躍できただろうと思う。本人が望むかどうかは別として。

 海賊の姫・水野久美は相変わらずこういうのばっかだが、これまた似合いすぎるほどなので許す。どっちつかずの中谷一郎は楽天的で大人のゆとり。ちょっとトンガリ気味の加山と好対称。やはり年の功ですかな。そんな大人の魅力にウットリとなった水野久美と月夜の晩に抱き合い「どえらいことになってきたぞ!」と言うシーンは笑える。殺し合いより、愛し合うことのほうが一大事っちゅうのがいかにも男の子の発想だ。

 この映画の中丸忠雄は実にカッコイイ、悪役なのに儲け役である。冒頭、いきなり谷底へ転落するのだが、ちゃっかり生きてるし。ただ執念深いだけでなく、加山が合流した馬借の娘・星由里子と加山の仲を嫉妬した江原達怡が、加山を陥れようと協力を申し出たときは「そんな卑怯で女々しいのは嫌だ」と江原を殺してしまうというたいへんプライドの高い人でもある。組織に縛られることなく自由に生きたいと言う加山に対して、組織のために体をはるという自分のプライドを賭けた闘いに挑み敗れ、最期に「負けた」とつぶやいて炎に身を踊らせる瞬間までシブイの一言だ。ボスのためなら一直線、そして最期に味を残す美味しい役どころである。

 この映画は加山と武田忍者のバトル映画のようでありながら、実は違う。加山が抵抗しているのは個人を踏みにじる権力そのものなのだ。権力者のために滅私奉公することが、権力者にとって正しいと思われることをただ命令されるままにやりとげることが、いかにヤバイ結果になるのか。戦争で骨身に染みている世代ならではのストーリーと言えるかも。

1998年01月23日

【追記】

※本文中敬称略


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file updated : 2003-05-16