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火まつり


■公開:1985年
■制作:プロダクション群狼
■監督:柳町光男
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:北大路欣也
■備考:神様がむしゃくしゃすると、とてもコワイ。


 熊野は林業と漁業の町。木こりの達男・北大路欣也は、山ノ神の恋人と称する暴れん坊。弟分・中本良太は達男を兄と慕っている。町から、達男のかつての恋人・太地喜和子が舞い戻る。欣也と太地は人目もはばからず愛し合う。太地は欣也の叔父・三木のり平から金を巻上げると、そそくさと町へ帰って行った。漁港に海中公園を作るという計画がもち上がる。欣也の土地が計画区域に入っており、のり平は土地を手放すように欣也を説得するが、彼は聞き入れない。

 魚の養殖場に重油が撒かれる。公園建設に賛成する漁師を快く思っていない欣也の仕業だという噂が広がる。欣也は猟犬を買い、中本に罠の作り方や猟の仕方を教える。ある日、欣也達が作業していると突然、豪雨が見舞う、みんなは引き上げたが欣也は残った。とうとう欣也が山を降りようとしたとき足元へ木が倒れかかる。「わかった」とつぶやいた欣也が、山の女神の「水」を飲み、大木を愛撫すると雨はピタリと止んだ。

 この映画の主役は深遠な自然。日本で自然災害に根差した信仰が発達したのは、古代より地震、台風、といった天災に多く見舞われてきたからである。自然は恐ろしい、のであるが反面、荒ぶるほどに豊かな国なのである。主人公はこの脅威を恐れず、魅入られたのだ。

 自然の荒ぶる神々と「交わった」欣也は、火まつりで神々に扮した人間すら許せなくなっていた。いつしか、「むしゃくしゃするんじゃ」が欣也の口癖になっていた。数日後、土地の買収について家族会議が開かれた日、欣也は猟銃で自分の子供を含む一族を皆殺しにして、自殺した。

 豪雨で下山しようとした主人公を山の女神が引き留めた、少なくとも彼はそう信じた。雨で増水した川に欣也が顔を突っ込んでいる姿は、まるで女性と交わっているようなエロティシズムを醸し出す。せせらぎや、滝や、雨に濡れた大木や、森のざわめきが、フェロモンばりばりの太地喜和子でもかなわないほどに、艶かしく感じられるとは驚き。主人公の自己催眠にいつの間にか観客が引き込まれていく。

 大自然に対して罪を犯した者は償わねばならない。自然を愛していた母・菅井きんが土地の買収を決意した事を知った主人公にとって、家族を罰することは当然なのだ。自然を裏切り文明に魂を売った家族、それを止めようがない自分もまた死ななければならない。

 これは「神懸かり」による悲劇の映画だ。神懸かりというのは、自己催眠である。腕っぷしが強く、カリスマ性があり、イイ男である主人公が、傲慢の果てに起こした狂気とも見えるし、神々を畏れる日本人の魂が文明に破壊されそうになって爆発した、とも見える。

 柳町監督と北大路欣也という、骨太とカリスマの組み合わせが絶妙な味わいの本作品。だけどイヤだったポイントがただ一つ。子供の死体だけはカンベンしてほしかったなあ、と思った次第。

1998年01月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16