一杯のかけそば |
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■公開:1992年 |
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栗良平の童話の原作にサイドストーリーを付け加えて映画化したのが本作品。この映画はそば屋に拾われた野良犬の独白アニメーション(声はタラちゃんの貴家堂子=さすがたかこ)からスタートする。ちなみにナレーションは市原悦子。ここで私はなんだかとても居心地の悪い、たぶんそうなるであろう未来を予感した。そしてそれは現実になった。 大晦日の日に閉店後のそば屋を訪れた親子三人・母・泉ピン子が一杯のかけそばを注文してわけ合って食べる。親子が最近、母子家庭になったこと、にもかかわらずしっかり者の長男と無邪気な次男が健気でかわいいこと、そば屋の夫婦・渡瀬恒彦と市毛良枝の息子が、愛犬を追って交通事故で死んだこと、渡瀬のおやじ・奥村公延がボランティアで老人ホームの慰問をしていること、等々の貧者の美談の数々がシンミリと語られていく。 親子は翌年も、その次の年も来た。ある年、ピン子の次男が作文コンクールで一位になった。次男はそば屋夫婦のやさしさに触れ、作文に将来、そば屋になりたいと書いて、渡瀬と市毛を感動させる。さらに長男は「かけそば一杯」を注文した母の勇気に感動した、と言う。 ローカル新聞の記者・柳沢慎吾は「かけそば」の美談を記事にしてしまう。一躍、有名になったその店に、ひとめその親子を見ようとカメラマンや野次馬が殺到する。その年の暮、とうとう親子は来店しなかった。何年かが過ぎ、すっかり成長した息子二人を連れてピン子がやってくる。ピン子の口から、交通事故で死んだ亭主の賠償金の支払を終えた一家は亭主の実家に引っ越したが、折り合いが悪く、次男が不良化したこと、家庭がばらばらになる寸前、ピン子は次男の書いた作文を思いだし、一家は再び仲良くなったことが語られた。 市毛良枝と泉ピン子が入れ替わっていたら、この映画はどれほど「泣き度数」がアップしたことか。私はピン子が画面に登場して「かけそば一杯」と言った瞬間、かなりなイキオイで100メートルほど体と心が引いて行く自分を感じていた。彼女が登場する以前の、渡瀬と市毛の愛息事故死のエピソードを木っ端微塵にするほどピン子の登場は強烈だった。 ミスキャスト、この映画の見所(か?)はそこである。 途中で犬が死んだりして、それなりに涙をそそる(筆者は犬好き)シーンはあるが、どうにもこうにも白々しくていけない。面白かったのは「かけそば」の記事を読んで「こういう貧乏な人の状況も見ておかなければ」と栄養回りのよさそうな子供を連れて来店した金持ちマダム・金沢碧。ね、ミスキャストでしょ?美人で幸薄そうじゃないですか、彼女。こういうミスキャストは歓迎なのさ。 ミスキャストの悪い例をもう一つ。列島改造論にもの申す!反骨のジャーナリストという役どころの柳沢慎吾もボロボロ。新聞社を辞めた彼はなんと不動産屋に転職して、貧乏人苛めをするのだが、本線になんのかかわりもなく登場する柳沢慎吾の存在の物凄い中途半端さはどうだ。豹変して、登場して、その後は沙汰止みで、イキナリ映画は終ってしまうのであった。 で?一体、何が言いたかったわけ?と首をかしげすぎてスジちがえそうだ。「この映画は若い人にはわかんないと思う、だから見てほしい」という制作当時のピン子さんのコメントが、本人の意図とは全然別のところで納得できてしまうという、ってな感じでした。 (1998年01月30日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16