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蜘蛛の湯女


■公開:1971年

■制作:大映

■監督:太田昭和

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:川崎あかね

■寸評:直情径行の男を恋人を持つと、女は苦労する。


 今じゃ物分りのいいオジサンしている地井武男だが昔は極悪人(の役)だったこともある。大人になるためには何事も経験だな(意味不明)。

 遊女・川崎あかねが商家の若い男と駆け落ちをする。土砂降りの雨のなか、川崎は町はずれでゴロツキ・地井武男に恋人の目前で犯され、湯屋で垢すりをする湯女(ゆな)として働くことに。湯屋と言っても現代のような銭湯ではなく、蒸し風呂、サウナのようなもの。湯女は本番とストリップショーまでやっちゃう、マサージ嬢だ。時代は由比正雪の騒乱で丸橋忠弥が磔刑に処せられた頃。湯屋に来るのは町民の挟各である町奴や、旗本くずれの旗本奴たち。つまりは遊び人たちである。町奴は人気があるが、旗本奴は嫌われものだ。

 ソープ嬢の人生劇場。舞台が風呂屋で、裸の女がわんさか出てくるからという単純な理由で、この作品が「エロ時代劇」として括られているとしたら、そりゃお門違いである。この映画にはさまざまな叙情的な恋愛物語が綴られていて、ちょっとした大河ドラマの風格。

 父を失い家族のために働いている湯女がいる。ある晩、かくまった丸橋の残党の若侍に淡い恋心抱く。若侍の懐にはおそらく恋人にやるつもりのかんざしがある。翌日、その若侍は捕縛されて処刑される。それでも彼女は斬首された男の生首を小塚原の処刑場から盗み出し、それを抱いて川へ身を投げる。たった一晩の恋に命を賭けた女心の凄まじさ。

 幼い頃、目の前で刺青者に父を殺された湯女は、それがトラウマとなり、刺青をした客を次々に殺害しては、せむしの下男・常田富士男に命じて風呂釜にくべ、しゃれこうべをコレクションしている。父親への強い思慕に歪められた精神は恐ろしくもあり、また悲しくもある。

 武士の妻の湯女。父の仇を探しているが夫はすでに気力を失っている。ついに出会った憎い仇・伊達三郎に単身挑んで妻が斬られそうになったとき、夫が駆けつけ仇敵を斬り捨てる。まだ武士の誇りがあったのかと妻が問うと夫は「お前が危なかったから助けただけだ」と答える。二人は江戸を捨てて田舎で暮らすことにする。

 川崎あかねは自分を犯した地井に出会うと、恋人に愛想つかしをしてさっさと地井に抱かれる。踏んだり蹴ったりの若旦那は再度、地井に挑戦するが、こいつは相当なへなちょこ野郎なので、今回もあっさり殴り倒される。

 再び、訪ねてきた地井のスキを狙って、川崎は手にした剃刀で地井の頚動脈を切断。湯殿に追いつめられた地井が絶叫して、息絶えた次の瞬間、逆上した若旦那が乱入してきて、川崎を刺し殺してしまう。川崎は「憎い仇を殺したよ」と満足気に告げ、若旦那の腕の中で死ぬ。他の男に辱められて死ねなかった自分には、これしか道がなかったのだと、その死に顔はとても穏やかであった。

 父親、通りすがりの男、夫、そして恋人。一目で結ばれる恋もあれば、百年たっても分かりあえない恋もある。甲斐性なしの男に苦労させられるのはいつも女。

1997年12月17日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16