香港の星 |
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■公開:1962年 ■制作:東宝 ■監督:千葉泰樹 ■助監: ■脚本: ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:宝田明 ■寸評: |
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今でこそ、宝田明は「ゴジラ」で一山当てたように言われている(誰も言ってないってば!)オシャレなオジサンだが、池部良の後継者と期待されたその本道はメロドラマの二枚目である。池部良のようにサワヤカな二枚目で、しかも池部良よりも下品(誉め言葉<どこが?)という武器がある。 商社マンの宝田明は香港出張の折、ソニーの現地支社に勤めている同窓生を訪ねる。そこへ美貌の医学生・尤敏(ユーミン)が、難民病院を運営している父親の買ったばかりのラジオが壊れた、とクレームをつけに来る。宝田が替わりに新品のラジオを届け「壊れたのは取り扱いが悪かったのでは?」と余計なことを言って帰る。その場では怒った尤敏だったが、父親からラジオは壊れたのではなく「落して壊した」と言われてしまう。尤敏は日本に留学中で冬休みが終わり留学先へ帰る尤敏と宝田は飛行機の中で再会する。 チャイナドレスの美女との国際恋愛といえば、ジェニファ・ジョーンズとウイリアム・ホールデンの「慕情」である。問題は二人を如何に清く出会わせて別れさせるか。本作品では男は戦死せずロサンゼルスに赴任してしまう。これが今生の別れ、という時代の話なのである。 絵に描いたような美人の尤敏は、医学生としての周囲の期待と、親友との恋のさやあてに板ばさみになる。京劇の名優の愛娘にして、早くからショービジネスの世界で頭角を著していた尤敏の瞳の表情が素晴しい。時に若々しく無邪気に、そして知的に。かと思うと上品な色気を漂わせて憂いを込めて、と千変万化。こういう言語を超えたパントマイムに近いような表現力というのはワールドワイドに通用するものだ。言葉遊びに終始する日本のストーリーテラー、キャラクターだけが重宝がられるプレイヤー達はよく見習うように(おお、偉そうだ)。 尤敏と心ならずも恋のライバルになる団令子の女心がいじらしい。尤敏の事を思いやりつつも自分の恋心を抑え切れず、宝田の行きつけのバーのマダム・草笛光子と宝田の仲を疑ってズケズケと物を言う。それを草笛に「傲慢だ」と諭され、尤敏へのジェラシーに気付き、自分が情けなくなり涙を流す。団令子のコケティッシュな瞳の魅力も捨て難い。 昔の日本のヒーロー男優というのは軍人役が良く似合った。つまり多かれ少なかれ、頼もしさや男くささ、と、言ったものがウリだったのだ。本作品のような大甘で洋風なメロドラマには、あまり物事を深く考えるヒーローは不向き。しかも多少のいけ図々しさと下心を常にキープしていなくてはならない。 宝田明という俳優無くしてはこういう企画はちょっと生まれ得なかったのではなかろうか。パッと見の派手さとカッコ良さには男くささや思慮分別が殆ど感じられない、かと言って下半身むき出しみたいなセックスアピールも無い、人畜無害なプレイボーイ。絶対にいないような、フッと我にかえると思わず赤面してしまいそうなキャラクターを、な〜〜〜んにも考えずに演じる宝田明を見ていると、何か幸福感のようなものを与えられてしまう。 こういう男臭さや分別のない、いささか幼児的な男性キャラクターは今、当り前になっているが、女優の方は如何なものか。そのへんのお嬢ちゃんのストレートな芝居「もどき」に慣れた現代では、本作品の「きれいな女優さん」達の「瞳芝居」合戦というのはまるで外国の映画に見えることだろう。どっちが良いというのではなく、昔の女優にはこのように華があったということだ。 (1997年12月27日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16