御金蔵破り |
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■公開:1964年 ■制作:東映 ■監督:石井輝男 ■助監: ■脚本: ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:片岡千恵蔵 ■寸評: |
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牢屋で知り合った旗本崩れの若衆・大川橋蔵と老盗賊・片岡千恵蔵は江戸城の御金蔵を狙っている。橋蔵は大奥の中老・朝丘雪路をたらしこんで、江戸城の警護状況を聞き出す。千恵蔵はおわい船の船頭・伊沢一郎から博打のかたに船を一そう巻上げる。花火大会の夜、騒音を利用して二人はまんまと千両箱を盗み出す。だが、水路で橋蔵のライバルだったエリート・杉浦直樹と、意地汚ないやくざ・安部徹に船をはさみうちにされてしまう。 この映画はアラン・ドロンとジャン・ギャバン主演の「地下室のメロディー」を愛着を込めてパクっている。仏版はドロンがあわててプールの底に沈めた大金入のスーツケースが、水を吸って膨張した紙幣によって鍵が開いてしまい、水面にプカプカと札が浮かんでオジャンになる、というオチ。「トホホ」のドロンに対して、ギャバンの苦虫を噛みつぶしたような表情が秀逸な作品だった。 日本版の強奪方法は?おわい船ってのは糞尿を運搬する船で、文字どおり「やまぶき色の小判」を「やまぶき色のゲル状の液体」の桶に沈めて運び出そうとする、大胆、かつ、かなりバッチイ作戦だ。 花火大会をバックにしているから、二人が江戸城の屋根の上などでコソコソやっている姿が色とりどりにライトアップされる絵作りが洒落ている。コンサバな橋蔵のおかげで全体にかったるいテンポなんだけど、こういうカラフルな演出が、この作品のドライでコミカルなタッチをサブリミナルに強調してくれる。こういう「伏線」があるからラストの軽妙さが際立つ。 船頭に小判と船を任せて脱出した橋蔵と千恵蔵。だが逃げる途中で船は岩礁にぶつかって船底に穴があいており、浸水していた。やっと指定の場所まで漕ぎついた船頭だが、ついにギブアップ。二人の目前で小判を積んだ船がブクブクと沈んでしまう。呆気にとられる二人に、岡っ引きの丹波哲郎が「あそこは深いぞ」と棒読み台詞で追い打ちをかける。ああ、これが紙幣だったら浮かぶのになあ(でもバレる)、と観客にニヤリとさせて、映画は終わる。 「太平洋のGメン」につづいて石井監督の初の時代劇である本作品では普段の重厚さを逆手にとった軽妙な老盗人のキャラクターを演じる片岡千恵蔵。自分の型を持っていてもそれに安住せず、常に新しい感覚を積極的に取り入れて消化してしまえる大ベテランの素晴しさは感動モノ。 でも私のお気に入りは安部の子分たち。今井健二、待田京介、潮建志の三人組。色違いのネッカチーフ(手拭とも言う)がオシャレ。口笛を吹きながら上納金集めをしている。今井健二は「ほれ、ジェニジェニ(銭)、出さねえか」と軽妙に凄む。「ジェニジェニ」で「鈴木ヤスシ」を思い出した人、および、朝丘雪路の妹・北条きく子を見て「おお!教祖様!」なんて叫んだ人、相当オジサン(オバサン)だってバレますぞ!私(劇場主)ですけどね。 そしてこの映画の隠れた功労者が、中老役の朝丘雪路。警備の見回り時間が知りたくて計算づくで近づいた橋蔵に「金だけでなく、わらわの体が望みか?」なんて自惚れちゃうオマヌケぶりを発揮。それほどのもんかよ、おまえは!で、この頃ですか?実生活で橋蔵と噂が出たのは。芝居と現実が交錯してしまう天然ボケの元祖・朝丘雪路。今でも全然進歩がないというのがこれまた凄い。 この映画に戦犯がいるとしたらそれは大川橋蔵だろう。石井作品常連の丹波哲郎や杉浦直樹に比べて自意識が過剰すぎる。上手くやるのなら安部徹のような職人的な世界に振らないと、キレルなら眉毛をびんつけ油でつぶした薬物中毒患者みたいなメイクの狂犬・青木義朗のレベルまで達しないと、石井ワールドでは浮く。橋蔵のふっきれない中途半端な演技がこの映画を少々格下げしたような気がするのが残念。 (1997年11月26日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16