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宮本武蔵 完結編 決闘巌流島


■公開:1956年

■制作:東宝

■監督:稲垣浩

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:ほとんど鶴田浩二、でも三船敏郎

■寸評:


 吉川英治原作の東宝の宮本武蔵シリーズ最終作。三船敏郎の宮本武蔵というのはあまりにもミスマッチである。

 三船敏郎の武蔵、鶴田浩二の佐々木小次郎、お通さんは八千草薫、あばずれ女のアケミが岡田茉莉子、細川家の重役の娘で佐々木小次郎の恋人が嵯峨三智子。薬漬けになる前の嵯峨三智子は奇麗だったよね、お母さん(山田五十鈴)そっくりだ。

 稲垣監督は後年の「忠臣蔵」でもそうなのであるが、戦後・東宝という時代劇役者日照りの環境で、国民的な原作であっても大胆にストーリーを変更し、新味を出すという事が多い。しかしながら三船に武蔵というのは如何なものであろうか。御大・片岡千恵蔵(日活京都)や、若様・中村錦之助(東映)など他社では武蔵役者に不自由はしなかったが、ここ東宝ではどうだったか。

 三船敏郎にはパターンというものがない。様式的な約束事に当てはまらない、自由で奔放な男くささや美貌(異論があるかもしれないが、若い頃の三船は「ホモに大モテ」の美青年であった)が身上である。黒澤明監督に重宝され、「七人の侍」があまりにも有名であるために少々誤解を招くのだが、黒澤時代劇は日本の歌舞伎に根差したものではなく、あれは西部劇にルーツがあるのだ。ゆえに、吉川英治の日本的な、正統派時代劇の究極のヒーローのような、型にはまってナンボ、というキャラクターに三船がはまるわけがない。

 三船の武蔵はどうだったか。はっきり言ってペケ、である。と言うか、観客の期待していた宮本武蔵ではなかった、が正しい。対する鶴田の小次郎。これは日本映画史上最高の「佐々木小次郎」ではないだろうか。

 私が観た佐々木小次郎は、高倉健(中村錦之助・武蔵)、鶴田、そして田宮二郎(高橋英樹)の三人であるが。

 東宝はすでにこの「佐々木小次郎」シリーズを大谷友右衛門(現・中村雀右衛門)主演、稲垣浩監督で大ヒットさせていた。「佐々木〜」の武蔵が三船だったのである。稲垣監督は佐々木小次郎というキャラクターがかなり好きだったのではないだろうか。この後も尾上菊之助(現・菊五郎)主演でリメイクしているし。

 鶴田・小次郎。色男で、剣に関してはストイックではあるのだが、女でも栄達でも、己の欲望には素直に従い、強いものへの憧れをも素直に叶えようとして、武蔵に敗れる孤高の剣士。これを全身ナルシストの鶴田浩二が演じるのである。確かに営業上の主演は三船だが、本来、仇役として処理される佐々木小次郎をここまで魅力的に、観客のハートを射止めるキャラクターにしてしまったのは、稲垣の深慮遠謀か、鶴田の意地か。

 鶴田の色気と自己陶酔が嫌味に化けるのを、悲劇的な末路が功を奏して、素晴しく魅力的な人物にしてしまっているのだ、結果的に。高田浩吉劇団で叩き込まれたドサまわり的な演技パターンがシビレるほど美しく、ラスト、強い者に敗れて死んでしまったその顔にさえ「自己満足」が漂っているっちゅうのに、何故かカッコイイんだな、これが。

 小船で去る三船武蔵の涙は、素晴しい才能を自らの手で葬ってしまったことへの悔悟の情なんだけど、「チキショウ、美味しいところ、全部あいつ(鶴田)に取られた!」の悔し涙に見えたのは、私だけ?

 さてここでクイズです。この映画にはまだ無名時代の中丸忠雄が出ていますがちゃんと顔が見えるのはどのシーンだったでしょう?正解は大名行列のシーン。前の方にいる髯面の奴、ちょっとメキシコ人みたいですけど、アレです。よく見てみましょう!

1997年12月09日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16